皆さん、こんにちは。
ミモレ編集部の書籍担当、松崎です。
突然ですが、皆さんは稲盛和夫さんをご存じですか?
「名前は知っている」「なんかすごい人」「偉い経営者?」
というくらいの方も多いかもしれません。
実は、以前は私もそのくらいの知識しかありませんでした。書籍編集よりもファッション雑誌編集歴のほうが断然長いため、ビジネスや経済界にはうとく、しかも、一般常識も微妙です(いや、ちゃんとしたファッション編集者もいますが)。
そんな私にある日、友達が稲盛さんがテーマの本を貸してくれました。いつもマンガを貸してくれる人なのに、頼んでもいないのに、なぜか突然。『JALの奇跡』という本でした。
稲盛和夫さんの大きな業績は3つあります。京セラの創業、KDDIの創業、そして、経営破綻したJALの再生です。
稲盛和夫さんがしたすごいこと
20代で起こしたファインセラミックスの専門メーカー、京セラは世界的企業となり、稲盛さんは名経営者としてその名を馳せました。が、その成功に甘んじず電気通信事業にも挑戦。現在のKDDIの前身、第二電電企画を立ち上げたのです。KDDIがどれほど大きな会社となったかは、皆さんご存じの通りです。
稲盛さんがKDDIを創業する1984年以前、日本の電気通信事業が自由化される前は、国内の長距離電話はとても高く、国民は大きな負担を強いられていました。「国民のために、どうしても電話代を安くしたい。そのためには競争が必要だ」と、まったく経験のない通信業界に打って出たのです。
JALのときも、「国民のため」でした。2009年、倒産したJALをどうにか立て直してほしいと、78歳の稲盛さんに政府から要請がありました。高齢であること、航空業界は門外漢なことを理由に再三断るも、結局、稲盛さんは翌年その重い任を引き受けました。しかも、無給で。
なぜならば、JALが再び破綻してしまったら、日本経済に深刻な状況をもたらすから。破綻時のリストラ後に残った3万2000人の雇用を守らなければならないから。JALがなくなって日本の航空会社が1社だけになったら、競争原理が働かなくなり、運賃が高騰するから。
このスケールの大きな「世のため人のため」を稲盛さんがJALでいかに実現していったか。その経緯を稲盛さんの元側近が記録した本を、友達は「稲盛さんってすごいよ」と言って私に貸してくれたのです。
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