「最期のおねだり」が残された人を救う
──確かに、自分より他人のことを気にする日本人の特徴がよく表れていると思います。でも、このアンケート結果を見ると、我々の考える「他人に迷惑をかけている」状況は単なる思い込みで、実際は違っているのかもしれませんね。
そうですね。自分が思っているほど、他人は迷惑に感じていないのかもしれません。むしろ、旅立ちを前にした大切な人には「何かしてあげたい」と思うものなのではないでしょうか。
ご年配の方々に向けて法話する時、私は「“もうそろそろかな……?”と思ったら、ご家族や周囲の方に何かひとつ、おねだりをしてみましょう」とお伝えしています。まあ、いきなり「10カラットのダイヤの指輪、買うてんか」とかあまりにも無体なおねだりは別として(笑)、たとえば「プリン食べたいワ」とかね。持続可能性のあるおねだり、ワガママっていうんかな。看取られる側も願いが叶って満足、看取る側も「最期に喜ぶことをしてあげられた」と大満足。そんな場面が増えるといいなって思っています。
──なるほど。さすがにその発想はなかったですね。
というのは、残されたご家族は必ず後悔するものなんです。「お父さんに、もっと××してあげればよかった」「おばあちゃんに、好物の○○を食べさせてあげればよかった」って。私にも覚えがあります。でも、少しでも故人を喜ばせることができたという思いが持てれば、悲しみもやがて温かな景色へと変わる日が来る。最期のわがままは、旅立つ人が大切な身内にできる、最高のプレゼントなんですよ。
最期はみんな神々しいほど美しい!
──こういうお話を伺っていると、もっと自分本位に生きていい気がしました。周りの目を気にしてやりたいことを我慢している人は多いと思いますが、実際、周りはそれほど気にしていないし、迷惑だとも思っていないのかもしれませんね。
コロナ禍以降、看取りの現場がさらに見えにくくなり、「誰にも迷惑かけずに死にたい」と思う方がますます増えている実感があります。実際、お寺にご相談に来られる方もそういった方が大勢いらっしゃる。でも、「死」はそれほど迷惑なものでしょうか?
人が美しく輝くのは、若くて元気に溢れた時代ばかりではありません。実は、旅立つ寸前はもっともっと美しい。私は看取りの現場でそのことを痛感しました。
もちろん、見た目はヨボヨボなんですよ。だけど、この世の恨みつらみ不安悲しみすべて、すっかり脱ぎ捨てて天に昇っていく姿は、抱きしめたいぐらい無垢で清々しくて輝いている。すべての人の魂は、もともと本当に綺麗なんです。まさに、奇跡です。
私たちはすでに、この世に生きているだけで奇跡の存在。息さえしていれば、失敗したって何度でもやり直せます。ちょっとドキドキしますけどね(笑)。まずはご自分に大きな花マルをつけて、「大好きな」ご自分の心の声=直感に耳を傾けてほしい。きっと、進むべき道が見えますから。
私も毎日ドキドキしています。ご相談者さんにホッと一息ついていただきたくて親寺にあたる龍門寺からお茶室を移築しましたが、1000万円以上の借金を背負いました。でも、生きてさえいえればなんとかなる。実際60年、なんとかなってきました。だから、今度もだいじょうぶです、きっと!
『駆け込み寺の庵主さん 心のモヤモヤ「供養」します』
著者:松山照紀 双葉社 1595円(税込)
創建300余年の駆け込み寺・不徹寺で「庵主さん」と親しまれる第25代住職・松山照紀さんが、不安、嫉妬、憎しみ、怒りなど長年居座るやっかいな心の粗大ゴミの手放し方を丁寧に指南します。また松山さんの波乱万丈な半生も記されており、年齢に関係なくチャレンジを続けるその姿に勇気をもらえるでしょう。
取材・文/さくま健太
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