ロックンロールの女王、ティナ・ターナーがスイスのチューリッヒ近くにあるキュスナハトの自宅で、83歳で亡くなりました。長い間肝臓などを患い、闘病生活を送っていたと報じられています。
訃報を聞いたセレブたちが次々にSNSでティナへの追悼メッセージを投稿。ビヨンセからマーサ・スチュワートまで、幅広い層にリスペクトされ愛されていた彼女の人柄が伝わって来るよう。
ティナといえば私の中では『We are the World』を歌っていたスターたちのひとりであり、映画『マッドマックス/サンダードーム』でメル・ギブソンと共演していたなどの華々しい活躍ぶりしか記憶にないのですが、実は70年代後半に、一度は表舞台から消えた人でもあったのですよね。
のちに夫となるアイク・ターナーとデュオを組み、60年代にブレイクするも、アイクの家庭内暴力と浮気、コカイン依存に苦しんで、1968年には自殺未遂。
2018年に出版されたティナの著書『Tina Turner: My Love Story』ではその壮絶な家庭内暴力の内容が詳細に描かれています。ティナがお金になると気づいたアイクは、彼女を「経済的にも肉体的にも支配する必要があった」ために、その結婚生活は呪われたものになりました。そもそもティナには結婚にためらいがあったそうですが、すでにふたりの間には4人の子ども(アイクとの子は1人で、2人はアイク、1人はティナの連れ子)がいて、またアイクとのデュオで活動していたために、ほかに選択肢がなかった、とも。
ティナはアイクに結婚したその日にポルノ・セックス・ショーに連れて行かれ、「私は惨めな気分で泣き続けていたけれど、逃げ場所はどこにもなかった」と語っています。さらにアイクは、ティナの顔に熱いコーヒーをかけて、ステージ3の火傷を負わせたこともあったとか。
「どうにかして逃げなくては」と考えたティナは、医者に不眠症だと嘘をついて睡眠薬を入手。ステージに上がる前に50錠を服用して自殺を図ったものの、死ねなかったと綴っています。1970年に彼らの曲『Proud Mary』が大ヒットしたときにも、薬物中毒になっていたアイクは毎日のようにティナの鼻をパンチボール代わりに殴り、ティナは鼻から滴り落ちる血の味を味わいながら歌っていたなどという、痛ましい記述も。
その後、1976年にようやくアイクの元を逃げるように去ったときには、ポケットには36セントの現金しかなかったといいます。1978年にアイクとの離婚が成立。このときティナが求めたのは、「ティナ・ターナー」という芸名を使い続ける権利。しかし業界の誰もが、このときすでに40近くになっていた彼女のキャリアは、これでもう終わりだと思っていました。
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