似た者夫婦
一ヵ月後。私は朝からウキウキした気持ちを隠すのに必死だったと思う。夫も「今日は機嫌がいいね」なんて言っていたから、抑えきれてなかったはず。今日は最近お気に入りの年下イケメン君とデートの予定があった。
都心のホテルのバーで集合、ということになっていたけれど、昼間からバーがあいているのか、それは確かめてもいない。どうせそんなのは口実だ。
本当はホテルまで車で行きたかったけれど……ちょっと目立つポルシェだし、乗り付けて誰かに見られたら大変。私は車をミッドタウンの駐車場に預けてから、タクシーで移動することにした。帰りに買い物もできるし、ちょうどいい。
車を預けて、早足でタクシー乗り場に向かっていると、スマホが振動した。まさかデートをドタキャンじゃないよね? と急いでみると、夫から。
『茅乃舎のダシ茶漬け、買い足しておいて~』
呑気な夫。妻がこれから他の男に会うっていうのにね。でもある意味ナイスタイミング。東京ミッドタウンに茅乃舎があるから、ポチらなくても店舗で買える。
私はOK、とスタンプを押して、マナーモードに切り替えた。しばらくは忘れなくちゃ。
タクシーでホテルの名前を告げると、ドキドキを鎮めるように目を閉じた。これから会う人には私が既婚者だということは告げていないし、相手もそんなことは興味もないだろう。
タクシーを降りて、ホテルのロビーを俯きがちに横切り、最上階のバーに行くために素早くエレベーターに乗り込む。誰もいない四角い箱で、またスマホが振動したのを感じた。
『そこで何してるのー?』
夫からのメッセージの意味が、私はしばらく理解できなかった。
――そこ? ってどこ? ……まさか、ここ?
咄嗟にエレベーターの隅についているカメラを睨む。そんなはずはない。間髪入れずにまたスマホが振動する。
『そのホテルに茅乃舎はないよ。ミッドに戻って、戻って』
全身の毛穴が開くような寒気が、這い上がってきた。バレている。監視されている。でも何故? どうやって?
はっと思い当って、最近よく使っている新しいかごバッグの底を探る。不審なものは何もない。でも、側面の布地の裏に、奇妙な突起がある。
上部の隙間から指を入れてさぐってみると……そこにはコロンとしたタグがついていた。
GPSタグだ。薄ピンクで可愛い色で、私用とでもいいたいのか。ゾッとした。
またスマホが震える。
私は咄嗟にエレベーターを飛び降りると、すぐに下層階行きのボタンを押した。作戦は中止。とにかく、ここに来たのは……そう、1階のパティスリーにケーキを買いに来た。まだそういうことにできるはず。
エレベーターの扉を開く。早足で飛び出すと、そこにいたのは……ニコニコといつも通りにほほ笑む夫。
「だめだよ~実花ちゃん。車、ミッドに置き忘れてるよ? 僕が車にもタグつけててよかったよね。あわてんぼさんだなあ」
……『持ち物には全て、タグをつけることにした』。
夫の言葉が今更思い出される。
ごめんね、美雪さん。偉そうなこと言って、妻どころか、私はモノ扱いだったみたい。
私は必死に口角をあげる。肩に置かれた夫の手の不気味な力強さを感じながら、引きずられるように帰路についた。
都心のタワマン族が通わせる中学受験塾で起こった異変とは……?
春の宵、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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構成/山本理沙
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