納得できない異動、筆者自身の体験


ただ、嘆いてばかりも要られません。納得いこうが、そうでなかろうが私たちの物語は止まりません。私たちは納得できない人事異動という物語をどう生きればよいのでしょうか?

ここで僭越ながら、私の体験を共有させてください。私の勤める業界はちょっと変な業界です。30代でやっと「ヒヨコ」、そして40代から頭が硬くなる年齢までが教育者としても研究者としてもピークです。
なので、私のキャリア観では、60前後までは頭が柔らかいと勝手に考えて、それまでは教育者・研究者として勤務先に貢献し、定年までの10年くらいは運営や管理の仕事でご恩を返そう……と考えていました。
しかし、実際には44歳で所長、46歳で大学院研究科委員長も兼務となってしまいました。教育者・研究者としても、まだまだこれから……という年齢です。想定よりも10年以上早く、運営や管理に忙殺されるボジションに置かれてしまったのです。
私を中心に回ってしまう数々の案件が、納得できない私に重たくのしかかります。私が動かないと、誰も動けないという状況の重たさ……。運営や管理に忙殺される中で、教育者・研究者としての私は半ば死んだような状況が続きました。当然、かなり重たい抑うつ状態に陥りました。

 


「納得できない」からこそ、思いがけない発見があった!!


さて、私のちょっと重たい体験を共有してしまってごめんなさいね。でもね、重たい抑うつ状態を通して、見えてきたことが2つありました。
一つは死んだように感じていた私が「然るべき」と思っていたキャリア、つまり教育者・研究者としての私は死んだわけではなかったのです。そして、もう一つ、こちらの方が重要なのですが、納得できない仕事でもやっているうちに私が楽しめるところがある事がわかってきました。

私は管理や運営の仕事は好きになれませんが、仲間とわいわいがやがやとにぎやかに仕事をするのは好きです。私が預かっている部門がそういう雰囲気になると、私も楽しく役職を務められることがわかってきました。これは、私が教育者・研究者としてのキャリアしか見ていなかったとしたら、気が付かなかった私の物語でした。

自分のキャリア観を持つことは重要です。しかし、そのキャリア観通りに人生が展開すると、それ以外の可能性が閉ざされてしまいます。キャリア観に沿わない異動を納得することは難しいかもしれません。自分を理解してくれていると信じていた相手に裏切られることもつらいかもしれません。

ですが、納得できない異動だったからこそ、発見できる自分の物語もあるのです。もちろん、「やってみたけどやっぱり合わなかった……」という結末になる異動もあるでしょう。しかし、異動の発令がなかったら決して体験しなかった何かに、気づかなかったお宝が潜んでいる可能性は0%ではありません。S.Freudの言葉になりますが、「何事も、自分でやってみなければわからない」のです。

納得できない異動をなかなか受けとめがたいことは、重たい抑うつ状態を経験した私もよくわかっています。しかし、受け止め難いからこそ、思いがけない発見があるのもまた事実です。人生の可能性は広く捉えましょう。あなたのキャリアの可能性は、あなたが考えているより、もっともっと広いものなのです。
 

文/杉山崇
イラスト/池田マイ

 

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