山菜、馬肉のタルタル⋯⋯
母を支える食への「好奇心」



この六月で母は八十九歳になります。肺癌と膵臓癌という厄介な癌を経験しているので、ままならないことも多いですが、一人で散歩やお茶に出かけますし、昨年は念願の内田光子さんのコンサートにサントリーホールまで行きました。おしゃれをしてイケてるレストランにいくのも好きです。まだまだ人生を楽しんでおります。

彼女を見ていると、料理に限らず「好奇心」は楽しく生きていく上で大切な要素なのだなあと思います。もっと知りたいという欲求、それを叶えようとする行動力。それらが、多少ガタのきた母の肉体を支えているように私には見えます。そしてもちろん、一番の原動力は「食欲」。春になったら山菜を思い切り食べたいとか、いきつけのイタリアンレストランで馬肉のタルタルをご飯に乗せて食べていたいとか、欲望のリストは尽きることなく絶えず更新されていきます。

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友人が山菜を食べに来たときのおもてなしの食卓。春の恒例になりました。

この春に再刊された『料理発見』はそんな母の好奇心の記録。娘の私がいうのもなんですが、読み直してみるとなかなかおもしろい。37年前に刊行されました。クロワッサンでの連載「おいしく食べてますか」をまとめたもので、それが書かれたのは40年近く前です。関東ではまだまだめずらしかった牛すじにハマったことから始まり、皮から作って揚げるタコスや激辛のカレー、パンの壷焼きなどさまざまなメニューに挑戦したことが書かれています。今では当たり前の「水餃子」や「タピオカ」もこの頃は誰も知らなくて、手探りで試行錯誤した話もあります。元祖タピオカブームはうちの母だったんですよ。彼女の好奇心のおかげで、私は子供の頃からさまざまな国のさまざまな味覚を経験させてもらいました。食い意地の張り方と味の想像力には自信がありますが、それも母のおかげです。

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すだちご飯。我が家の夏の定番です。

40年前、まだ電子レンジは一般的ではなかったし、ましてやIHクッキングヒーターなんてものは影も形もありませんでした。今の私たちからしたら、不便この上ないはず。でも、というか、だからこそ新鮮に感じることも多いはず。便利過ぎると想像力の出番は少なくなってしまうと痛感します。

おいしいものを味わうのは大好きですが、それを自分の手で再現することには別の醍醐味があります。「新しく挑戦し、失敗したり、発見したりするのは、探検旅行でもするように楽しいものです。」『料理発見』の後書きより。

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『料理発見』甘糟幸子・著
「目新しい材料に出会うと、体じゅうの神経が活気付いてくる。想像力が湧き上がり、予感に導かれるようにして仕事が進む。忘れていた動物的な感覚がよみがえってくる。」(本文より)
作家でエッセイストの甘糟幸子氏による1986年刊行の食エッセイが復刊。気になった食材や美味しい料理は自ら試さずにいられない。料理への好奇心と情熱にあふれ、料理することのおもしろさを発見させてくれる良書。


文・写真/甘糟りり子
 

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