人権は「政府が実現していくべきもの」
――尊厳が守られるために必要な、最低限の部分ということですね。
藤田 そうです。日本で「人権」というと、運動家がわーって主張している怖いイメージや、ぼやっとしていて何だかわからないもの、あとは「人権宣言」とか何か遠いところにあるもの、といったイメージですよね。でも人権は“ぼやっとしたもの”じゃなくて、ちゃんと国際的な条約で規定されているんですよ。条約の内容を具体化するために、各国政府はそれに関連する法律を作って義務を履行しなければなりません。人権は「政府が実現していくべきもの」なんですよね。そのために、国連の機関は具体的にチェックして「実現しなきゃだめだよ」と勧告することもあります。それだけ、明確な基準があるものなんです。
――『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』を拝読して、日本では人権の問題が「思いやり」の問題と混同されている、という指摘がとても印象的でした。
藤田 日本の人権に関する啓発って、大体なんでも「あなたの“思いやり”で人権が守られます」みたいなことを書いてるんです。「人権」がテーマのポスターも、「あなたの思いやりが大事」といった言葉が入っていることが多い。人権問題で“思いやり”を全面に出すというのは、日本では典型的なアプローチのようです。
例えば、ある人権について書かれたパンフレットだと、子どもや高齢者を“あなたの親切で守ろう”と書いてあるんです。「社会全体で見守りましょう」というのが「解決策」として書かれているわけです。もちろん、それは絶対に大事なんですけど、それだけではだめなんです。
個人の思いやりはもちろん、行政の取り組みも並行しないといけません。人権の啓発では、「行政が負うべき責任」には触れていないんです。「相談は受けます」とは書いてあるんですけどね。人権について、正しく教えたくないのかなと感じます。権利を教えると、国民に武器を与えてしまうからかもしれません。
独立した「国内人権機関」があるイギリス
――「思いやり」という言葉自体は聞こえはいいですが、非常に曖昧で、私たちの努力に全て委ねられてしまうような危うさがありますよね。先ほどもおっしゃっていましたが、「人権は政府が責任を負うもの」と本書で知ったときは私もびっくりしました。そういう考えがなかったなって。
藤田 今私が住んでいるイギリスには、日本にはない独立した国内人権機関※があるんです。本の中でも、日本でも作らなきゃだめだよねって私が書いているものです。そのイギリスの人権機関のホームページでは、「あなたは表現する権利があります」という風に、まず我々が持っている基本的な権利について触れられているんです。さらに、もしそれが侵害されたらこういう方法で回復しなきゃいけない、という具体的な手段も書いています。そのために私たちがいますよ、と。日本とはちょっとアプローチが違いますよね。
※政府から独立し独自の調査権限を有する、実効的な国内人権救済機関。日本には存在しない。
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