古代の女性たちはどう生きたのか、妄想
一説には、この貝は形が栗に似ていることからハマのクリでハマグリというそうです。こないだ青森の三内丸山遺跡でガイドさんから聞いた話では、今から約5900〜4200年前に生きていた彼の地の縄文人は集落の近くに栗を植林して、実を食糧に、木を建材にしていたとか。海で漁をしたり貝を掘ったりして、いろんな海産物を食べていたこともわかっています。そこで私も、浜におかずを採りに来た縄文の女の気持ちでひたすら掘り進めます。腰には木の皮で編んだ網袋。木べらか石のついた棒を片手に掘ったのではないかしら。当時の平均寿命は30歳。初潮以降は妊娠と出産をひたすら繰り返し、多くの赤ん坊を喪い 、40歳にもならずに死んだであろう女たち。
三内丸山遺跡には1700年間にも及ぶ祭祀の跡が残っています。もしかしたら女たちも重要な地位を占めて儀式を行っていたかもしれない。何しろ縄文社会は今でいうティール組織だったらしいというではないの。つまりムラのオサを頂点とする階層化された共同体ではなく、プロジェクトごとにリーダーが出ては解散するやり方だったらしいというのです。当然ながら、まだクニが民を管理する戸籍制度もなかった時代です。
戸籍制度は今から1400年ほど前の飛鳥時代に導入されたのち、一度は絶えたものの明治時代には形を変えて復活。昭和の敗戦後の民主化で「イエから個人へ」の社会変革を経たのちも、なお現役の制度です。しかも日本は世界で唯一、夫婦別姓が認められていない国。大多数の夫婦では、かつて女性が男性のイエに入ったのを踏襲するかのように、妻が大変な手間をかけて夫の姓に変えているわけだけど、それって果たして誇るべき伝統なのかしら。
そんなことを思いながら黙々と貝を掘るうちに、頭の中は、縄文から一気に降って平安時代に。貴族の娘たちは貝合わせで遊んだそうな。ハマグリの貝殻の内側に金銀色とりどりの絵の具で精緻な絵を描いた美しい玩具です。これを神経衰弱のように合わせて遊ぶ。ハマグリは上下の貝殻がぴたりと合わさり、決して他の貝殻とは合わないことから、夫婦和合や貞操の縁起物とされていたとか。平安貴族の女性は、妻問婚かつ一夫多妻の世の中で、有力な男に求婚されて子を産み、父の権勢を広げ、妻としての立場を確固たるものにせねばと常に不安だったでしょう。親の後ろ盾が弱いと、貴族の娘といえども落ちぶれかねないし、もし夫が新たな妻を寵愛しだしたら、我が子の出世にも響きます。頼むから他の女なんかに肩入れしないでおくれよ。ハマグリにはむしろそんな女性側の願いを感じずにはいられません。
そしていうまでもなく貝は二枚貝の閉じ目といい、ひだの重なった柔らかな中身といい、あるいは説明不要の鮑などの一枚貝の姿といい、フォルムからして女陰のシンボルです。また、白く旨みがある貝の汁は母乳にもなぞらえられ、古くは古事記にも登場します(以下、諸説あるなかの極めてざっくりした説明ですので神話ポリスの皆様、ご容赦を)。地上の国を造ったオオクニヌシという神話上極めて重要な男神(出雲大社の御祭神)は、若い頃に兄たちの謀略で大火傷を負って死亡。それを生き返らせたのは、赤貝の女神と蛤の女神でした。蛤の女神ウムカイヒメはその白い乳汁で男神を治療し、蘇生させました。
ちなみに日本の人々が古代より食べてきた穀物も、神話では女神の体から生まれています。暴れん坊の男神スサノヲ(女神アマテラスの弟で、天上界を追放されて地上を放浪)は、はらぺこのピンチに陥った際、女神オオゲツヒメに食べ物をもらって救われます。しかしスサノヲは、オオゲツヒメが体の穴という穴から食べ物をひり出すさまを見て無礼者と怒って殺害。死んだ女神の体の穴穴からは色々な作物が生え出ました。目から稲が、陰部から麦が生じたとされます。女神の死体から作物が生じる神話は世界各地にあるようですが、スサノヲ、なんで恩人を殺すかな。命を養い、食べ物を生み出し、男を産み、交わり、救い、与えに与えて男に所有され、愛でられ、生贄にされ、同時に穢れとされ貶められ殺される女たちよ。私は時折、この性に生まれたことがつくづく悲しくなる。おっとこれは私の声なのか、古の人の魂がハマグリの姿を借りて私に訴えているのか……などと妄想しながら結局食べるためにその貝をありがたく持ち帰ったのでした。
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