学歴の有無や他人からの評価が気にならなかった理由は?
「私はむしろ学位など無くて、学位のある人と同じ仕事をしながら、これと対抗して相撲をとるところにこそ愉快はあるのだと思っている」(『牧野富太郎自叙伝』)
後年、富太郎は自叙伝にこのように書き記しました。彼の天才たる所以は、ハンデや苦境ですら楽しめるところにあったのかもしれません。
詳細は割愛しますが、富太郎は小学校を中退してはいるものの決して学がないわけではありませんでした。むしろ、当時の小学校のレベルを超えた教養を備えていたがために中退を選択したと言われています。彼が周りの評価に左右されなかったのは、自分の知性に対する自信があったからでしょう。加えて光川さんは、彼がブレなかった理由をこのように分析しています。
「富太郎自身は、学歴の有無や他人からの評価などより、純粋に植物が大好きでした。そして、それらの一つひとつに名前を付けてあげることが生きがいだったのではないでしょうか」
富太郎にとって、植物に比べると富や名誉なんてどうでもいいことだったのでしょう。それは、常人には到底たどり着けない境地。周囲の人々はそんな彼がまぶしくて仕方なかったのかもしれません。光川さんは、富太郎が周囲の人々に何度も助けてもらえた理由を、このように考えています。
「そのような無欲な研究者の姿に、心ある学者は陰ながら応援していたのではないかと推察します」
矢田部教授や松村教授のように近づきすぎると心を乱されてしまうけれど、遠巻きには応援してあげたい。「植物学の神様」とまで言われた牧野富太郎は、人々にそんな複雑な感情を抱かせる、不思議な魅力を持った人物だったのではないでしょうか。
著者プロフィール
光川康雄(みつかわ やすお)さん
1951 年生まれ。1975 年、同志社大学文学部文化学科教育学専攻卒業。1988 年同志社大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、駿台予備学校講師等を経て、現在、びわこ学院大学短期大学部教授。主著に『人物で見る日本の教育』(「牧野富太郎」分担執筆、ミネルヴァ書房)、『教育の原理』(共著、樹村房)などがある。
『牧野富太郎 草木を愛した博士のドラマ』
著者:光川康雄 日本能率協会マネジメントセンター 1705円(税込)
日本の植物学の父、牧野富太郎の①生涯、②家族や友人、大学の仲間など関係する人物、③出身地の佐川、高知、活躍した東京などの足跡を掲載し、牧野富太郎の人生と生きた時代に迫ります。植物学に興味がない人でも、多くの人に愛される反面、妬まれもした富太郎の唯一無二の魅力と、愛妻・壽衛との強い絆に胸を打たれるでしょう。
構成/さくま健太
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