お金で買う「関係性」に溢れた現代。廃れる地域交流

信号待ちで出会った子どもと目線を交わすだけでもいい。子どもの心の孤立を防ぐ「地域のあり方」【小澤いぶきさん】_img0
写真:Shutterstock

――関係性の貧困というのは、これが原因って言えるものじゃなくて、すごく複合的にいろんなものが絡み合って生まれるものだと思います。一方で、経済的な貧困が関係性の貧困に繋がりやすいとも思います。

小澤:子ども時代の人との関係は、身近な人を通して広がることも少なくありません。そして子どもの様々な体験に必要なお金を考えた時、給与や働く時間など保護者の働く環境に格差があるなど、様々な課題があるというのが一つあるのではないでしょうか。

もちろんインターネットなどで大人を介さずに広がるものもありますが、その媒体にアクセスするのにWi-Fiが必要であったり、なんらかの媒体を手にする必要があったりと、子ども一人だけの資源でなんとかできることが限られてもいます。また、あくまで推測なのですが、特に都市部において、人との関係性の広がりは、お金を払ってサービスを購入しないとできなくなっていると感じます。

子どもは遊びや様々な体験を通して人との関係を育んでいきますが、その子どもの遊びや体験も、お金の課題がついて回ることも少なくありません。例えば、今の時期、外での長時間の遊びは熱中症の危険があるため、屋内で遊べて、かつ、様々な人と関われるところに行こうとするとお金が必要です。また学校外の友達や大人との関係が育まれ得る、学校の後の体験学習や塾にもお金が必要です。このような体験と、子どもにとって世界が広がるような「関係性」はセットになっていることもあります。

サービスになることで可能性が広がることもあります。一方で、サービスの受け手として子どもや市民を対象化するのではなく、暮らしの中の相互的なやりとりを育む主体として、子どもたちも含む市民一人ひとりがお互いを大切にし合うような文化を、時代に合わせて育んでいくことも大切だと思うのです。そして、経済的な格差の背景にある構造に対しても制度を整えていく必要があると考えています。

私たちは、市民性によって育まれる関係性や体験、風景を文化として育んでいけないかと考えています。

 

「自分が住んでいる地域に起こっていること」を見つめよう


――「Citizenship for Children」では、「市民性の醸成」というものを掲げていらっしゃいますが、「市民性」とはどのようなものか教えてください。

小澤:自分が存在していること自体が、既に子どもの環境を作っていたり、共に暮らしているいろんな人たちに影響しているし、自分もまた子どもや様々な存在から影響を受けているんだっていうことを感じながら、「自分が住んでいる地域に起こっていること」を見つめていく。これは起こっていることの背景や社会構造も含めて、自分の価値観のメガネを少しだけ外して見つめることでもあります。

例えば、日常の中でふと、通勤途中や立ち止まった時、普段見ているようで目に留めていなかったかもしれない「今目の前にいる子ども」をちゃんと見つめる。今出会った子を見なかったことにしないということも、声を聞くという大切なエッセンス。もし気になることがあれば、自分の「気になる」をなかったことにしないで大切にする。大仰なことではなく、「自分にとっても楽しい」と感じるようなこと、出会った子の願いをどちらも見つめながら地域の子どもたち、地域の人々と共に紡いでいく。それが「市民性」であるというふうに考えています。

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――困っている人がいたら力になりたいと考える人は多いと思うのですが、今の社会の風潮として、他人の子どもに対して声をかけるということがとてもセンシティブなものになっています。他人との関わりに過敏になっているというか、なかなか手助けしづらいという雰囲気があります。孤立する子どもに手を差し伸べるというのも、すごく勇気のいる社会になってきていますよね。

小澤:確かにそういった風潮はありますよね。一つは、子どもの安全を考えた時に、何か事件に巻き込まれないか、子どもの安全を考えるがゆえの保護者側の慎重さ、みたいなものはあるのかなと推測します。それはとても自然なことでもあると思います。そして、それを受けて、「危ない人だと思われたくない」という、自分を守ろうとする意識が働く。根底にある子どもの安全を大切にしたいという願いは、もしかしたら共通していているのかもしれません。

じゃあ、子どもの安全を作りたいという願いに立ち返った時に、どんな可能性があるのかというのは、もう少し言葉や心を交わせる機会が必要なのではないかなと思っています。また、子どもの権利を大切にするといった共通の土台を作っていけることで、少しずつ安全が開かれていく可能性もあるかもしれません。