北島先生の弟子にはなれないかも、でも諦めなかった
──『からくりTV』出演を経て、歌手デビューに繋がったのが、高校中退後、引きこもっていた時期に、北島音楽事務所にデモテープを送ったことなんですよね。
大江:母子家庭だったんですが、私立の高校に行っていたから、お母さんに負担をかけていたんです。歌手になったら絶対にお母さんを苦労させないだろうなと思って。お母さんに孝行するのは、自分しかいない。もう、勉強で点取ってる場合じゃないと思ったんですね。中学生の時の数学の先生に、「大江くん勉強しなくていいから」って言われたんです。「好きなことをやればいい」「そっち(歌手になる道)に時間を注いだ方が、あなたは成功する」って。その先生は軽音楽部の顧問でもあったんですね。軽音楽部と老人ホームの慰問に回ったんですよ。軽音楽部が演歌を演奏して、おばあちゃんたちの前で僕が歌ってました。高校を中退した時は、ちょっと落ち込んだ時期もあったんですけど、安住さんが大丈夫だから大丈夫だからとおっしゃってくださったんです。皆さんのお声に甘えて、僕自身も修行しますということになりました。
──北島音楽事務所にデモテープを送ることも、安住さんが助言してくださったんですか?
大江:やりなさいって。とにかく当たって砕けろという感じで。あの当時、今は僕がお兄さんと呼ぶ北山たけしさん※が、もう北島先生の“最後の弟子”だってガンガン宣伝していたんです。北島先生も、もう記者会見とかで、「北山たけしは最後の弟子です」とおっしゃっていた。それを見て、「もう多分北島先生のところには行けないよ」っておじいちゃんに弱音を吐いたんですよ。でもおじいちゃんは、「どんどん行けよ、当たって砕けろ」と言うんです。多分、おじいちゃんは北島先生の性格がわかっていたんじゃないですか。昭和の人だから、義理堅い、人情の人だって。その言葉に目が覚めて、歩き始めるわけですね。自分の夢だけじゃ多分ここまでこれてないです。やっぱり家族みんなの夢でもあったんです。みんなでこの夢を叶えるぞ、という感じでしたね。
※北山たけしと大江裕による演歌デュオ『北島兄弟』として活動
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