こんにちは、エディターの昼田です。
先日、自転車どうしの接触事故に遭いました。左折しようとしたら、直進してきた大学生とぶつかりました。おたがいの不注意が原因です。重たい電動自転車だったので、よけきれず足をすりむき、青あざが腕や手に……。
私の電動自転車は、車体が高く、子供を載せるたびに高く持ち上げるのがしんどくて、使いづらいなぁと思っていました。身長はあるけれど、握力がない私には、重みに耐えれられずふらつくことも……。
もうひとつ。
愛用しているワンピース。ルックスはとても気に入っているのですが、肩周りの伸縮性がなく、腕を動かしにくいなぁと。少しのことですが、やっぱりストレスを感じていました。
ある日、自転車走行中にタイヤに巻き込まれて、裾が大幅に破れてしまいました。
今年買ったTシャツ。シルエットも見た目も好きなのですが、素材感が肌に合っていないような気がして、着ることに気分があがりませんでした。
はい、こちらも!
アクシデントでコーヒーを派手にぶちまけてしまい、シミ抜き上手の私でも、これはさすがに……無理だ。残念ながらウエスにすることにしました。
もうみなさん、お分かりですよね?
「まさかね」と思ったけれど、決定打になるようなエピソードがもうひとつ。
夫が財布をなくしてしまいました。よくよく聞けば、使いづらくてそろそろ変えようかと思っていたところだったと。
やっぱりそうなのかと思ったのです。
モノを人に置き換えて考えてみます。
会うたびに(使うたびに)、「あなたのことイヤなんだよね、ストレスなんだよね」と言われている人(持ち主)と一緒にいたいと思いますか? ってことなんですよね。
「嫌い」というエネルギーは、モノにも伝わっているのだと思います。
「愛されていないモノ」は、当然、持ち主の役に立ちたいと思っていません。むしろ縁を切りたいと思っている。「愛してくれないなら出ていってやる! 」でしょうか。だからこんな悲劇になるのです。
愛せない人と一緒にいるのが苦しいのと同じように、「愛せないモノ」は持ってはいけない。私の結論です。
でもこれは真実だと思っています。
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