「赤ちゃんは、産まれても助からないかもしれない」
元ご主人とご結婚される前の知里さんは、大手企業の会社員として数年勤めた後にヨガインストラクターの資格取得のためインドへ留学するなどしていたそうで、昔から好奇心旺盛で行動力のある女性だったことが伺えます。
何度か職を変え、ホスピタリティを学びたいと旅館に就職したとき、上司である元ご主人と出会いご結婚。当時24歳で、まもなく妊娠が発覚しました。
「たしか妊娠4、5カ月の頃、妊婦検診で突然言われたんです。お腹にエコーを当てるお医者さんの顔が急に曇って、『赤ちゃんの骨が育っていない』『すぐに大学病院に行ってください』と」
胎児の異常が判明したのは、本当に突然のことだったそうです。その後何度か検査を重ねても結果は変わらず。「無事に生まれたとしても、助からない可能性もある」と言われ、知里さんは頭が真っ白になりました。
「このときから息子が生まれるまでの数ヵ月、実はあまり記憶がないんです。赤ちゃんに異常がある、産まれても生きられるかわからない上、でも中絶できる期間も過ぎているので産むしか選択肢はありませんでした。
今できることも何もないと言われ、ただ本当に、頭が真っ白のまま、人にもあまり会わず、妊婦であることもほとんど周りに言わず、ただお腹がどんどん大きくなる妊婦生活を送っていました」
当時の知里さんの状況を想像すると、うまく言葉が出ません。元ご主人は知里さんが少しでも気分転換できるようにと遊びや旅行に連れ出してくれたそうですが、残念ながら効果はなかったと言います。妊娠中の母親がこのような状況になるのはどれほどの衝撃でしょうか。頭が真っ白、記憶がないというのは納得できてしまいます。
「出産が近づくと、今度は『産まれた時にどこまで助けるか?』という選択を考えなければならなくなりました。延命措置をどれだけするかという意味です。
私は基本的にナチュラル思考の人間なので、正直なところ、無理はせず自然の流れに任せようと思っていました。小さな新生児にあれこれ機械をつけるのも可哀想だし、親の意思で延命されることが、障害を持った彼自身にとって良いことなのかもわからなくて。だから、措置はしない。流れに逆らうことはしなくていいと、心から思ってたんです。産むまでは」
そして訪れた出産当日。知里さんは帝王切開で出産することになりましたが、麻酔で意識が朦朧とする中、真斗くんが産まれました。
「しばらく無音の中、『やっぱりだめだったんだ』と涙が出てきました。でも次の瞬間、オギャーと、小さな小さな息子の泣き声が聞こえて……そのときのことはよく覚えています。
自分でも驚きましたが、『できることは全部してください!』と口が勝手に叫んでいたんです。それまでのようにあれこれ考えたりはせず、反射的に、本能で、『息子を助けなければいけない』と強く感じていました」
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