いわゆる「貧困」を経験したことはない理由


知里さんは強い意志を貫き、真斗くんと東京へやってきました。

「引っ越しはもちろん大変でしたが、知識を蓄えたので何とかなりました。言えることは、日本は本当に良い国だということ。特に東京は様々な制度や施設がすごく充実していて本当に便利。障害児の病院の費用は国が負担してくれるのはもちろん、ひとり親の助成金も受け取ることができて感謝しています。

自分の貯蓄と、また夫からの養育費についても公正証書を作成し、息子と二人で暮らすためのお金はしっかり確保しました。とりあえずは私に収入がなくても二人で生きていけるということはすごくありがたかったです。大変なことはたくさんあったけど、様々な制度のおかげで、私たちはいわゆる“貧困”的なものを経験したことはありません。日本は本当に素晴らしい国だと思います。これが他の国だったら……考えるのもちょっと怖いくらいです」

ちなみに知里さんは、養育費や助成金など諸々を合わせて、月に約30万円ほどは手にすることができたそうです。この金額については地域によって異なるため、引越し先などもその辺りを考慮して決めたと言います。

「また、数名しか受け入れていない重度障害児専門の保育園の枠が奇跡的に1枠空き、9時から17時まで息子を無事預けられることになりました。この時間で何ができるかと考えましたが、時短であっても私が勤務することは現実的にやっぱり難しい。なので専門学校に通い、まずは手に職をつけることにしました」

重度障害児を必死に育てる中、夫が浮気...?妻が「私も悪かった」と冷静に語る理由_img0
 

そうして知里さんは、美容学校に通い始めました。

産後は自分に構う時間もありませんでしたが、もともとヘアメイクが好きだったこともあり、また技術を身につければ仕事と真斗くんの子育てを両立できると信じて勉強に専念したそうです。

「産後3年間は自分の時間はほぼなかったので、ようやくここまで来た達成感とありがたみ、この貴重な時間を絶対無駄にはしないという気持ちでいっぱいでした。平日昼間は息子を保育園に預けられるので余裕ができたと思い、精一杯がんばっていたのですが……」

 

新生活に意気込んでいた知里さんでしたが、ある日突然、異変に襲われたのです。

「なせだかわからないけど、朝、まったく起き上がることができなくなっていたんです。身体が重くて、頭がまったく働かない。身体が言うことを聞かなくなっていました。急に何もできなくなってしまったんです」

それでも何とか重い身体を引きずりながら、知里さんは真斗くんのケアだけはこなしていたそう。最悪の体調不良の中、こればかりは気合なのか、あるいは3年間真斗くんに専念したゆえに身体に染み付いたものなのでしょうか。

そして、いくつか病院を回った末、なんと知里さんは過労によるパニック障害・双極性障害と診断されてしまいました。

どこまでも前向きに逆境に負けずに突き進んできた知里さんでしたが、やはり彼女自身も気づかないうちに疲労や心労が想像以上に溜まっていたのです。

来週公開の続きの記事では、専門学校も辞めざるを得なくなり、家で寝たきりとなってしまった状態から、再び自立に向けて立ち上がった経緯をお話いただきます。

写真/Shutterstock
取材・文・構成/山本理沙
 

 

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