こんにちは、藤本です。
タイトルの状況は藤本ではなくエッセイスト稲垣えみ子さんの状況でございます。審美眼の高い稲垣さんのフリマ告知ですら出品者のニーズが高かったという……(衝撃)。もうみんな物欲はないの?

「フリマをやると言ったら、『行きたい!』より『出品したい!』人の方が断然多かった...」。その現象をヒントに、100歳を超えても認知症を発生しづらい暮らしを紐解く_img0
2017年は、『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』に随分助けられた記憶があります。オリーブオイルを糠漬けにかけるだけの“日本式サラダ”は、その年の夏バテ防止のデイリー常備菜になりました。

稲垣さんの待望の新刊『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』が話題ですよね~。目次を見ても、「家事こそは最大の投資」「老後と家事の深い関係」「老後を救うラク家事」など興味津々!
『魂の退社 会社を辞めるということ。』で私は初めて稲垣さんの存在を知り、そして著作を読むたびに感じるのは、稲垣さんの人生は「アドベンチャー」だということ。もらえる期限がわかっているとはいえ、“今”の既得権益に誰しもしがみつこうとするもの。それを自分から捨てられるのは、やはりすごい力だと思います。

 

ここでざっくりとご存知の方も多いと思いますが稲垣さんのプロフィールを。一橋大学社会学部を卒業後、バブル期の朝日新聞社に就職、激務のストレスを相殺するように繰り広げられる贅沢な食事に(外食も自炊も)ショッピング。そして疲れきって我にかえると、贅沢で高価ではあるが稼働率ゼロどころかもはやあるべき場所に片付けすらできていないモノに囲まれた日々。さらには「こんな生活は(金銭的にも)一生は続かない」という気づき。人間としての尊厳や誇りを、別のところに見いだす必要があると思っていた矢先に起こった震災。それをきっかけに早期退社してからは電気なし、お風呂なし、ガス代最小限で、時間に追われず(ご執筆の締め日はあるものの)、自分で自分を慰撫するを楽器演奏・ピアノをたしなむ(藤本的には”マインド貴族”)、羨ましい文化的生活。決してモノを捨てることを強要はしないけど、贅沢を否定しないけど、「こんなこともやろうと思えばできるんだよ〜」と背中を見せてくれる現代の冒険者のように思えます。

また、いわゆる贅沢といわれるものを味わい、試し、知り尽くしてきた経験を持っているからこそ至った現在、という感じで、単なるミニマリストとは違うわけです。私にとっては日本のドミニック・ローホーさんのような存在です。しかし、凡人藤本が明日から即刻冒険者になれるはずもなく。

インタビューでお会いした際、「お金(=おそらく退職金のことでしょうか?)があるからできるんでしょう?」とよく聞かれるのですが、それは全然違うんですよ~とおっしゃっていました。きっとよくそういうコメントを受けられるのでしょう。実際、『魂の退社』に感激して面白い選択だよね、すごいね〜と紹介しまくっていた藤本の周りでも同じような反応でした。

で、今回の著作の中の何が新しいって……
ご両親の介護を体験されて、人が生ききって死ぬまでの哲学を究められているようでした! 生ききる。って改めてすごい言葉です。
著作にも書いてありますが、家族を愛し家事能力の高さと家事センスをご自身の尊厳としていらした専業主婦のお母様はお亡くなりになった。そして、お母様は認知症が進むにあたって、自分の大得意としていた様々なバリエーションの料理が作れなくなっていくこと、様々な機能を持つたくさんの調理器具に囲まれて困惑されて自信を失っていったというのです。(世代感覚的には『きのう何食べた?』の主人公・筧史郎の母上世代かと思います)

残された、性格的に明るく社交的で元気だったお父様の現在……。コミュニケーション上手で、地域の世話役などをかって出て能動的な活動力をご自身の尊厳とされてこられたお父様だからあまり心配なしと思いきや、やはり身体が思うようにいかなくなって塞ぎ込みがちになっているそうです。料理は妻に作ってもらうもの、と思い込んできた半生なので、料理が自分でできても殊更喜びや尊厳につながらない。

老いに向かうにあたり、元気な時には、アドバンテージとされていた性格は実は無効になるのかもしれないという。全く新しい価値観が必要だと感じた稲垣さんなのでした。

ここで100歳を超えても認知症を発症しない人の暮らしぶりを稲垣さんがご紹介されています。
それは修道女(ナン)!

その特徴は、集団の中で(=社会とのつながり)、自分のできることはしっかりと行いながら(=例えば修道院レシピにあるようなジャムとかワイン作りでしょうか?)、環境の変化の少ない暮らしを何十年も続けている(=変化へのチャレンジは若い時で十分?)こと。

まだはっきりしとしたことは研究でもわかっていないそうですが、多くの100歳以上の修道女たちには、脳にはしっかりとアルツハイマーの病変が出ているのに、現実には認知症を発症しなかったそう。

高度成長期に蔓延した神話、思うままに美味しいものを食べられること、たくさんの機能が備わった新商品に頼って生活を欲望のままに大きくすること。そこからの意識は、まだまだ続いているのかなと思いました。そして、自分の尊厳を最後に守るための現代の新しい価値観として、稲垣さんは「一人一家事」を推奨されている。(料理も洗濯も掃除も、シンプルな生活に落とし込み、自分が生きるために自分がやる。家事分担という用語は死語であると)。

 
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