産後、体が回復したタイミングで区役所の保健師さんに電話をかけ、長女の発育の相談をしました。その電話口で保健師さんは「お母さん、心配ないですよ。念のため、臨床心理士に見てもらいましょう」と予約をしてくれたんです。

【障がい児を育てながら働く④】“復職”したい。けれど長女を“受け入れてくれる場所”がない..._img0
東京の実家に戻ってきてすぐのころ。三面鏡に映った自分の姿を見て喜んでいました。

当日、区役所が開いている育児広場に娘を連れて行くと、臨床心理士が待っていました。娘をカーペットに降ろし、臨床心理士が観察を始めると、みるみると顔が曇っていきました。

「お母さん、娘さんにはできるだけいろいろな体験をさせて、刺激を与えてあげて」と言われ、児童発達支援センターを案内されたんです。でもセンターの予約はすぐには取れなくて……、予約できたのは半年後でした。

——半年……それはとても長くしんどい日々だったのでは……。

 

……とても辛かったです。その間、専門家に相談できず、深夜にガラケーで何かいい情報はないかと検索をしては不安が膨らむばかりでした。当時は次女の授乳がありましたが、長女はちょっとした物音でも目覚めてしまうため、祖父母の部屋で寝かせていました。私は夜中に、携帯が発する光で次女を起こさないように布団をかぶって、検索するくらいしかできなかったんです。

そのころ近所に産後ケアセンターができたので、次女に授乳中の乳房が痛くなったと言っては駆け込み、助産師さんたちに不安を打ち明けていました。「おっぱいはね、ストレスや寝不足がいけないのよ」と、長女のことで右往左往する私の不安にじっと耳を傾けて、寄り添ってくさった助産師さんたちのおかげで、私はどうにか精神のバランスを保ち、育児を続けることができました。