——保育園はどうでしたか?

認可保育園は復職しないと入れないので、有名な大手の認証保育所をいくつか回りましたが、半年遅れと伝えてあった娘を見せてほしいと言われて、連れて行った途端「うちは障がい児は受け入れていないんです。社長の方針です」と断られました。

復職後に備えて、公立の認可保育園へも行きました。公立では「受け入れます」と言ってはもらえたものの、母子分離ができていない不安定な娘を預ける決断ができないまま、月日は過ぎていきました。そんなときに、毎日通える民間の児童発達支援センターがあると知り、連れて行ったのです。

【障がい児を育てながら働く④】“復職”したい。けれど長女を“受け入れてくれる場所”がない..._img0
長女は人の笑い声が大好き、母と談笑していると、必ず近くにやってきて、一緒にニコニコしていました。

——そちらに通い始めて、復職への道が開かれたのでしょうか?

それが……。その支援センターは初日から母子分離だったのですが、娘にとっては適応が難しく、昼食時に嘔吐を繰り返し、ますます夜に眠らなくなってしまって……。午前1時半ごろになると必ず、うなり声をあげて、泣き叫ぶようになってしまったのです。

 

夜間の次女の授乳後、真冬に冷たい廊下の上をそっと歩いて、泣き叫ぶ長女のところへ行き、なだめては、次女のもとに戻る日々。私も両親も疲弊しきっていました。

両親は長女が運動不足で眠りが浅いのではと思い、当時2歳の娘が疲労で発熱するほど長距離を歩かせたこともありました。父は、私が夜間に会いに来るせいで泣きぐせがついたのではと考え、私を責めました。

ようやく入れていただいた施設ではありましたが、結局数回通っただけで、お詫びして退所しました。