印象が残らない「無色透明」の人
本音でぶつかっていかないと、感情の触れ合いがないので、人間関係も表面的なものになります。「あの人、本音では何を考えているのかわからない」「いい人なんだけど壁をつくっている」となり、誰の輪にも入れない。形は輪に入っていても、じつは自分の殻に閉じこもっているだけで、誰にも心を開いていない。印象が残らない人、というのもこういう人です。
さらに、人間関係で過剰に我慢してしまう人は、じつは自己肯定感が低いために、他人から褒められたときに素直に喜べません。自分は褒められるほど価値のある人間ではないと思っているからです。
「その服、素敵だね」と言われたとき、「ありがとう」と返すと、何か自分が調子に乗っているようで心苦しい。
相手からも「ちょっと褒めたからと言って調子に乗ってる」と思われないかと不安で、「そんなことないよ」と返してしまう。相手の気配りを台無しにして、「せっかく褒めても否定される」「褒めがいがない」と、逆につまらない印象を与えます。
「嫌われないように」は、むしろ自分を追い詰める行為
つまり、「こうすれば嫌われない(好かれる)のではないか」と思ってする我慢は、じつはまったく正反対で、むしろ自分を追い詰めるだけの行為なのです。
私たちは、生身の自分や本音をぶつけて、相手や周囲の反応があり、それに応じて次からの自分の対応を調整し、現実社会に適応する能力を磨いていきます。
「自分はこう思う」という意見や本音を聞いた相手が、怒ったり笑ったり、喜んだり悲しんだりします。それを見て、次からはどう自分の気持ちを表現すれば相手との関係を構築・改善したり、より深くわかり合ったりできるかを学んでいきます。
しかし自分を出さなければ、本当の自分が他人や社会にどう思われるかの反応が得られません。だから、自分のどこをどう調整すればよいのかがわからない。すると自分を出すのが怖くなり、ますます自分を隠すという悪循環となります。
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