アートの暗い部分に触れられる瞬間のために行く、好きな場所


――『黒い絵』に収録された作品『向日葵奇譚』を、去年、パリで書いていたという原田さん。ようやく書き上げたその時に、ちょっと怖いことがあったそうです。

原田マハさん(以下、原田):夜の10時くらいだったんですが、最後まで書き上げて「こわ……」と思っていたら、家の窓を誰かがコンコン……ってノックしてきたんです。「ひゃあ!!」って叫んで、その瞬間に飛び上がっちゃったんですよ。誰!? と思ったら、近所に住んでる友達が「電気がついてたから、来てるのかなと思って」って。私がパリにいる時に、よく、コンコンって来る人なんですけど、タイミングがタイミングだったからすごくびっくりして。「いや、今、すごい怖い話書いてたから!!」みたいな感じで(笑)。

コロナ禍に原田マハが感じた「人のいない美術館の怖さ」アート×小説の名手が考えるその正体は?_img0

『黒い絵』原田マハ ¥1870/講談社

――とはいうものの、ラストに「ゾッ……」とするミステリアスな短編集を手掛けた小説家が、「怖い」が嫌いなわけがありません。実は原田さんが好んで「怖い」を体験に行く場所は、閉館間際の美術館です。

原田:コロナの間、美術館にほとんど人が来なかった時にパリにいたので、ここぞとばかりに通っていたんですが、美術館って人がいないと怖いんですよ。私はよく人に「閉館の1時間前に行ってください」って勧めるんです。「閉館30分前です」というアナウンスで人がどんどん出口の方に行く中、最後まで残っていると、一人になる瞬間がかならずあります。ルーブル美術館の夜間開館でもそれがやりたくて、ギリギリ21時45分までに 奥の奥の奥の方まで行き、わざと時間を潰していたんですね。警備員が私を追い立てながらギャラリーのドアを締めていく、そのたびに、そこにある絵と一瞬だけふたりきりになる。その瞬間のなんだかゾッとする感じが、ものすごい好きなんです。もうこの世にはいないアーティストの何かに触れるというか。ああ嬉しいとか、幸せ、というのではない、アーティストがその作品に込めた情念が、時空を超えて感じられ、ヒヤリとする。アートには人を幸せにする効用はもちろんあると思いますが、同時にアーティストの情念、非常に暗い部分が込められている絵もあるんです。

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写真:shutterstock

――じわじわと染み出すアーティストの情念が、アートに触れた人に作用する。自分が思ってもみなかった、自分の中の「黒いもの」が、アートによって呼び起こされる。『黒い絵』の短編は、そんな人々の体験を描いた作品たちです。

 

原田:この世には、人の魂に揺さぶりをかけてくる作品が存在します。その揺さぶられ方には、空から指す金色の光というようなものではなく、頭の中に黒い稲妻が走るようなものもあると思うんですよね。例えば私にとってはピカソの『ゲルニカ』(スペイン内戦で起きたゲルニカ空爆を描いた作品)がそんな感じでした。「なんだこれは」と思いましたね。ピカソが何のために描いたのかを知りたいと。そういう思いを喚起させる強さが、あの作品にはありました。