いくら選挙にお金がかからないやり方を模索すると言っても、政治家として立候補するためには、事務所も借りなければいけませんし、ポスターやビラなども配る必要があります。最近ではネット活用も必須ですから、やはりある程度の資金が必要です。
新人議員を中心に、既存の政治家に挑む候補者にとって、必要となる資金をどのように集めるのかが常に悩みの種でした。一方で、世襲議員はすでに支持者や組織が固まっていますから、あまり大きなお金を動かさずに議員に当選することができます。
ここで派閥のパーティーが重要な意味を持つことになります。
有力な政治家は派閥のパーティーなどを積極的に開催し、そこで裏金を作り、資金に窮している新人議員にお金を配るという流れが確立しました。新人議員にお金は回りますが、派閥の上層部に資金を握られている以上、上層部に対して異を唱えることなどできるわけがありません。こうして重鎮政治家の権力が維持されてきた面があるのは否定できない現実といえるでしょう。
当然のことですが、筆者は政治家が自由にお金集めをしていいと主張したいわけではありません。
しかしながら、政治資金規制の流れが、世襲政治家に有利になるよう利用されてきた面があるという現実について、私たちは考えておく必要があると思っています。
政治家にとって最も重要なのは「票」ですから、最終的には多くの票を集めた政治家が力を持つことになります。お金を集める政治家というのは、票が不十分な状況であるからこそ、お金を集めて特定の企業や団体に便宜を図り、票をお金で買っているという面があります。
こうした行為を一掃するには、やはり私たちが投票所に足を運び、国民全体が選挙を通じて意思を示すしか方法はありません。いくら世襲で組織が固まっていても、あるいはお金で票を買うことができたとしても、大半の国民が選挙を通じてしっかり意思を示すのであれば、政治家は最終的には国民全体を向いて仕事をすることになるでしょう。
政治資金を不適切に運用する政治家に大きな責任があるのはもちろんですが、政界を浄化できる力を持っているのは、主権者である私たちだけです。
前回記事「遺族に「証拠見せて」宝塚歌劇の最悪対応から考える、組織の隠ぺい体質を“助長させる”私たちの行動とは」はこちら>>
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