安倍政権以降、官僚は政治家の無責任発言の尻拭いと帳尻合わせのために、ずっと理屈の通らない苦しい言い訳ばかりさせられてきたわけですが、本来の彼らはめちゃめちゃ優秀な理論派、記録のプロです。記録に基づいた明快な事実を求める山本代表の質問に、官僚の答弁もめちゃくちゃ歯切れよくテンポも良く、その様はある種のコンビ芸のよう。
さらに国会中継を見ると、山本太郎議員が質問に立つと、与党野党問わずそこにいるすべての議員が視線を完全に奪われているのがわかります。緊張感が高まってじいさんたちも居眠りとかしてられないわけですが、国会って本来はそうあるべきものなんですよ。
彼の主張の内容に賛否はあるでしょうが、「政治家の仕事は、言葉を使って対峙し、心をつかむこと」という事実を、この人以上に明快に見せてくれている政治家はそう多くはいません。腐敗と愚策にまみれた政権はツッコミどころ満載なんだから、野党議員はこぞってこれくらいの勢いで追い込んでほしいものです。
この「れいわ」が、既存の政党(自民党に限らず)や大手メディアにある種「冷笑的に」「イロモノ的に」扱われることが多いのも、なんだか非常に日本的です。山本代表が「元タレント」であることが大きく影響しているのでしょうが、その構図にはどこか旧ジャニーズ事務所の問題に似たものを感じます。
BBCによって問題が大きく取り上げられた後、大手メディアの高学歴なジャーナリストの人たちは「芸能界とはそういうものだと思って、重く考えなかった」と口を揃えて言い訳していましたが、つまりは「ある種の権威側」にいる人達は、同等の「権威」を感じない世界、人、モノを軽んじて憚らない——彼ら自身が極めて権威主義的という事実であり、それが裏を返して「所詮あいつは〇〇というものがわかっちゃいない」という冷笑に繋がっています。
例えば件の「党議拘束」について。疑問を呈する人に「党議拘束がなければ党である意味がない。政治をわかってない」という政治家がいますが、アメリカの議員には党議拘束はありません。彼らは党の利益のためではなく、自分に投票してくれた支持者の利益を代表する存在だからです。ていうかそもそも、新しい考えや現状に疑義を抱く人を、既存の常識をもって「わかっちゃいないやつが四の五のいってるだけ」と切り捨てる社会に、変化とかイノベーションが生まれるはずがありません。これは実のところ、日本社会全体にある問題だと思います。
「政治にはカネがかかるものだ」というけれど、まずはそのカネがどこにかかっているのか、本当に必要なカネなのかを明確にすべきです。もし「献金するから企業に見返りを」「票がほしいならカネをよこせ」と言う人がいるなら、すべての政治家が「そういうことはできません」ときちんと断るべきだし、法律できっちり規制すればいいだけのこと。
それをやらずに「政治というものが分かっちゃいない」と反論するのみの堂々巡りの思考回路こそがが、日本の政治の行き詰まりになっていることは間違いありません。
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