神様に近い


「美菜ちゃん、おはようございます。あれ、顔色いいね! お天気も最高し、今日はいいことあるね」

病室に行くと、美菜ちゃんとそのご両親がそろっていて、ぎこちなく、でも深々とお2人が頭を下げた。

「じゃあ美菜ちゃん、ちょっと血圧もう一度計らせてね。お父様とお母様、先生があちらでお待ちですからお願いします」

私はできるだけ美菜ちゃんの緊張を解きたくて、わざとのんびり丸椅子に座ると、世間話でもするような調子で会話を始めた。

「もうすぐ春だねえ、今日は少しだけあったかい気がするよ」

「あの、ありがとう、おとといの夜」

「ん? 何が?」

私は美菜ちゃんの顔を見た。美菜ちゃんは、心臓に生まれつきの疾患があり、今日の手術は他の病院で断られてきて、うちの心臓外科に回されてきた経緯がある。

つまり、とても、とても難しい手術だ。

五分五分、という言葉が浮かぶが、決して、私たちのチームはこれまで口にしないようにしていた。

美菜ちゃんはもちろん、そんなことは知らない。この手術を頑張って、学校に通うのを楽しみにしている。美菜ちゃんの御礼は美菜ちゃんが手術準備に入った夜、怖い夢を見て泣いたとき付き添ったことを言っているのだろう。

手術室担当のナースが見た衝撃の光景…「お姉ちゃん、ママにこれを渡して」幼子の切ない伝言とは?_img0
 

美菜ちゃんは天井を見ながら大人しく血圧を測られている。

「来週の節分のお祭り、行きたかったなあ」

その言葉に、平静を装っていた私の手は、ついにぴたりと止まってしまった。

――ああ、美菜ちゃんもか。

 


私は衝撃を表に出さないように、まるで聞こえなかったかのように、なんとか手を動かしはじめる。

私が子どもの手術が苦手な理由。それは、彼らがまだ「あちら側」と深く結びついているから。

子どもは大人よりもずっと、誤解を恐れずにいえば「死」というものが身近だ。生れてからまだ10年と経たない彼らにとって、100年とも言われる長い人生を生きる、ということよりも、ほんの少し前までいた、この世でないどこかとの結びつきが近いのかもしれない。自分が存在しない、という世界線に慣れている。

そう思うようになったのは、この仕事を始めて1年が経った頃だった。

手術の直前、大人はさまざまな反応に分かれる。無口になる人、怒る人、当たる人、怯える人、意外に元気な人。

でも、この病棟で出会った子どもの幾人かは、全てを悟ったような目をしていた。この手術の行く末を知っているようだった。なかには、手術室に入る直前、丁寧に両親にさよならを告げ、ドクターや私に御礼を言う子もいた。

そのたびに、私は子どもたちをさらって逃げてしまいたいような衝動に駆られる。

小さい体で、精一杯運命を受け止めている。おまけにその結末が望む未来じゃないと本能が知っていて、それでも静かに御礼をいうような子たちを。

そんなとき、運命なんて、神様なんてくそくらえだと思う。

七五三を祝うのは、「よくぞ子どもたちがここまで生きのびた」と祝う意味合いあるのだと聞いたことがある。いにしえの時代は、子どもが無事に7歳まで生きのびることは当たり前じゃなかったのだろう。

7歳までは、また「あちら側」に近い存在だった。

これまで、澄んだ目で御礼を言った子のほとんどが、早逝したことに気づいたとき、私は子どものオペに入るのが怖くてたまらなくなってしまった。

「明日、ママのお誕生日なの」

美菜ちゃんは、にこにこしながらこちらを見た。