1月19日、新年恒例の「歌会始(うたかいはじめ)」が皇居で行われました。皇族方と国民の中から選ばれた方たちが集う雅(みやび)な催しです。「歌会始」は新年への願いと神への感謝の気持ちを歌に託します。
天皇家の方たちにとって、歌を詠むことは大切なお務めです。新年の歌会始ばかりでなく、折にふれて歌を詠まれるのです。今回は、雅子さまをはじめ、天皇家の方々の心に残る歌をご紹介します。
2024年の「歌会始」での平和を願う陛下と雅子さまの歌
短歌は、日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。宮中の「歌会始」は、国内のみならず海外からも歌が寄せられて、天皇家と国民の心を親しく結ぶ文化行事となっています。
いったいいつごろから、日本の人々は歌を詠むようになったのでしょう。
人々が集まって、共通の題で歌を詠み、その歌を披露する会を「歌会」といいます。「万葉集」にその記述があることから、すでに奈良時代には行われていたことがわかります。
なかでも天皇陛下がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といい、宮中では年中行事としての歌会などのほかに、毎月の月次歌会(つきなみうたかい)が催されるようになりました。これらのなかで天皇陛下が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。
起源は定かではありませんが、鎌倉時代の中期の1267年1月15日、亀山天皇の御代に宮中で「内裏御会始」が行われていることが、朝廷の記録に残っています。のちに「歌会始」という名称が使われるようになったのは、1928年(昭和3年)からです。
今年の「歌会始」のお題は「和」。雅子さまは、
広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり
と詠まれました。長女の愛子さまが中学3年生の修学旅行で初めて広島を訪れた際、原爆ドームなどを見て感じられた平和への願いを卒業文集に書かれたことを感慨深く思われ、平和の大切さが次の世代と将来に向かって受け継がれていくことを願われたといいます。
天皇陛下の御製(ぎょせい)は、このような歌でした。
をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心和みぬ
雅子さまとともに各地を訪ねた際に、温かく迎えてくれた人たちの笑顔を見たときのお気持ちをお詠みになりました。
雅子さまとのご結婚が決まった喜びを歌に
少し以前にさかのぼって、これまでの歌を見ていきましょう。ロマンチックな素晴らしい歌がたくさんあります。
1992年10月、皇太子浩宮さま(今の天皇陛下)は、千葉県の新浜鴨場(にいはまかもば)で雅子さまにプロポーズをなさいました。雅子さまはプロポーズをお受けし、翌年おふたりはご結婚されました。
新しい年を迎え、恒例の「歌会始」で浩宮さまはこのような歌を詠まれました。お題は「空」です。
大空に舞ひ立つ鶴(たづ)の群眺む幼な日よりのわが夢かなふ
民間から初めて天皇家に入られた、母美智子さまをご覧になりながら育たれた浩宮さま。ご自身も愛する人を得てご結婚されることを夢見ていらしたのでしょう。「夢がかなう」という言葉から、雅子さまとのご結婚の喜びが感じられます。
のちに、この歌は宮内庁楽部が曲をつけて、ご成婚の折の「宮中饗宴の儀」の第1日目に歌い上げられました。鶴は一度つがいになったら、生涯連れ添うといわれています。巣作りも子育ても一緒に行います。浩宮さまはそのことをご存じで、この歌を詠まれたのかもしれません。
上皇さまと美智子さまがご結婚されたときの「艶書の儀」
天皇家には結婚の前日、妃の参殿をお待ちになる皇太子殿下から歌を賜り、妃がその日のうちにご返歌するしきたりがあります。恋歌を交わす「艶書の儀」です。
1959年4月9日は、皇太子殿下(今の上皇陛下)と美智子さまとのご結婚の前日です。皇太子殿下は、美智子さまにこのような歌を贈られました。
待ちに待ったあしたの来るきょうの喜び
皇太子殿下の歌いかけに、美智子さまはこうご返歌されました。
たまきはるいのちの旅に吾を待たす君にまみえむあすの喜び
「たまきはる」は「いのち」の枕詞。美智子さまは、これから始まる結婚生活を「いのちの旅」と表現され、将来の天皇陛下のもとに嫁ぐ喜びと不安を、「命がけであなたさまのもとに参ります」と、みずみずしい感性でお詠みになられたのです。
あまりにも有名な、この恋歌のやりとり。万葉の時代から連綿と続く天皇家の歌を通した伝統文化は、上皇さまと美智子さまから天皇陛下と雅子さまに受け継がれ、さらに愛子さまたち次の世代へと繋がれているのです。
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●参考文献/宮内庁ホームページ、『天皇家の姫君たち』(渡辺みどり著、文春文庫)、『美智子さま「こころの旅路」』(渡辺みどり著、大和書房)
キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。
構成・文/高木香織
編集/立原由華里
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