2023年は、皇室の方々にとってご活躍の場が広がった一年でした。かつてのようにいきいきと皇室外交を繰り広げる皇室の方々のお姿を見ることができたのです。なかでも注目されたのは、天皇陛下と雅子さまが、令和になって初めて海外親善のためにインドネシアをご訪問されたことでした。

かつて、外務省にご入省され、外交官の卵としてキャリアを積まれていた雅子さまは、外国と日本の懸け橋としてご活躍されていました。数ヵ国語を使いこなすといわれる雅子さまは、まさに引っ張りだこのお忙しさ。やがてご結婚されて皇室に入られてからは、皇室外交に取り組まれるようになったのです。今回は、雅子さまのお仕事ぶりに注目します。

 


国際舞台でご活躍された外交官時代の雅子さま


米国ハーバード大学をご卒業された雅子さまは、翌1986年、東京大学法学部3年に学士入学されます。

ハーバード大学の卒業式にて。写真/宮内庁提供

さらに、同年10月には競争率40倍といわれる難関の外交官試験に合格。1987年4月から外務省にご入省されます。最初の配属先は、経済局国際機関二課でした。

外交官試験終了日に大学の同僚と打ち上げを。写真/宮内庁提供

「国際舞台で働きたい」

と、父と同じ外交官の道を選んだ雅子さま。

翌年には、在ロンドン日本大使館外交官補に就任され、英国オックスフォード大学べーリオールコレッジにご留学されます。2年間の留学期間を終えて1990年にご帰国、外務省北米局北米二課に勤務されました。

オックスフォード大学に留学される際に、友人たちが開いた送別会では、「最近、母から『気が緩んでいる、フンドシを締め直しなさい』と注意されました。イギリスではフンドシは売っていないので、東京から持っていかなくては」とご挨拶。雅子さまのユーモアあふれるスピーチで、あたたかな雰囲気に包まれる友人たちの様子が目に浮かぶようです。

外務省職員としての出張先でハーバード大学時代の友人と再会。写真/宮内庁提供

雅子さまの語学力はたいそう優れていて、英語のほかフランス語、ドイツ語も堪能で、日常会話程度ならロシア語やスペイン語まで話されるといいます。英語の文章では名文家で通っていて、重要な国際会議の講演草稿を任されることもありました。

1991年11月に行われた竹下登元首相とベーカー米国務長官(当時)との会談では、竹下元首相の傍に立って、通訳の補佐をお務めになりました。表舞台で活躍される一方で、忙しくて食事に行けない同僚のために、お弁当を買ってそっと差し出すような気配りもされる方でした。
 

多くの友好の灯をともした、インドネシアへの国際親善のご訪問


そんななか、雅子さまは皇太子浩宮さま(今の天皇陛下)と出会い、ご結婚のために外務省をご退職されました。5年9ヵ月ものあいだ外交官として活躍された雅子さまは、皇室の重みと影響力を充分に理解されたのです。

やがて浩宮さまは天皇陛下に即位され、雅子さまは皇后となられました。そして昨年2023年6月には、天皇陛下と雅子さまは、即位後初めてとなる国際親善のためのインドネシア公式訪問をされたのです。

2023年6月、インドネシアご訪問に出発される天皇、皇后両陛下。写真/JMPA

2023年は日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)との友好協力50周年の節目にあたり、ASEAN議長国を務めているインドネシアからご訪問の招待を受けられたのでした。

7日間の日程でインドネシアを訪れた天皇陛下と雅子さまは、ジャカルタ近郊のボゴール宮殿で、国賓として歓迎行事に臨まれました。

その行事の最中に、サプライズが起こりました! 急きょ予定を変更して宮殿近くの植物園を訪問することになり、陛下と雅子さまはジョコ大統領が運転するカートに乗り込んで移動されたのです。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

「あのようなカートに初めて乗って大変面白かったです」

と陛下は感想を述べられました。その後、お二人は宮殿でジョコ大統領夫妻と会見されました。イリアナ夫人と懇談された雅子さまは、現地の伝統弦楽器サぺの演奏を鑑賞されたり、伝統の染め物「バティック」作りを体験され、実際にバティックの布地を肩に羽織って笑顔を見せられるシーンも。

写真:毎日新聞社/アフロ

なごやかな会見の後は、大統領夫妻主催の昼食会にご臨席されました。ジョコ大統領から心のこもったおもてなしを受けられたのです。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ


「女性が頑張っているのを見て、頼もしく思いました」


今回のインドネシアご訪問でお二人が特に重視されたのが、若い世代との交流でした。職業専門高校の生徒たちとの交流の場では、雅子さまは「将来はどういうお仕事をされたいですか?」、陛下は「たいへんでしょう、卒業論文」などとお声を掛けられました。

「インドネシアの若い人と親しくふれあえてよかった。女性が男性に負けずに頑張っているのを見て、たいへん頼もしく思いました」

若い人たちとの交流ののち、雅子さまはこのように感想を述べられたといいます。

令和初の国際親善の旅は、たくさんの友好の灯をともしました。天皇陛下と雅子さまは、たしかな手ごたえを感じられたことでしょう。2024年はますますお出ましの機会が増えそうな雅子さま。これからの雅子さまのご活動から目が離せません。


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●参考文献/『新しい時代とともに ――天皇皇后両陛下の歩み』(宮内庁侍従職特別協力、毎日新聞社)、『美智子皇后「みのりの秋(とき)」(渡辺みどり著、文春文庫)、宮内庁ホームページ

キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。
 

バナー写真/JMPA
構成・文/高木香織
編集/立原由華里


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