美しさには人生の軌道を変え、人を絶望から連れ出す力がある


大鎧と言われてもイメージが湧かないでしょう。実は私も、知りませんでした。鎧といえば博物館で見る色褪せた遺物か、時代劇で見かけるピカピカの衣装。
細部の違いもわからない。ところがです。大鎧というのは平安時代の様式で、それはそれは美しいのです。西陣にある明珍さんの工房で間近に実物を目にして、本当に目から鱗がバラバラと落ちました。まさに美の小宇宙。大鎧はいわば工芸の総合芸術です。

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大鎧に身を包む、鎧司・明珍阿古さん。その貴重な美しい仕事の数々は個展「有職御鎧司 明珍阿古 UN PETIT BONHEUR-うつくし祝い、小さきものへ-」で観ることができます。

日本古来の植物を育て、絹糸を染め、それを組んで紐にし、あるいは鉄や銅で細かな部品を作り、塗師が丁寧に漆を塗り、さらには鹿革をなめして精緻な文様をつけた絵革や、兜の精巧な金細工など、各所に職人技が凝らされた超絶技巧の集大成。文字通り心奪われ、いつまでも見ていたくなる美しさです。明珍家は室町時代から続く甲冑師の宗家。阿古さんは、第一人者といわれた明珍宗恭(みょうちんむねゆき)氏に師事しました。宗恭氏は甲冑研究者の山上八郎氏と共に日本各地に古くから伝わる甲冑の研究を重ね、やがて厳島神社の大鎧の復元などを手がけました。中でも平安中期様式の大鎧に特有の優美さを好み、その美意識を現代にも伝える作品をいくつも残しています。

 


30年ほど前のある日、そんな宗恭氏の作品と活動の様子をメディアで見たのが、ある会社員夫妻。大鎧の美しさに惚れ込み、夫婦で鎧師を志します。それが阿古さんと、夫の永年さんです。彼女は会社員の妻からの大転身。門を叩いても簡単には受け入れてもらえない世界でしたが、阿古さんご夫妻の思いが通じてやがて憧れの宗恭氏の元で鎧作りを学ぶことに。厳しい修行を始めて15年ほどした頃、宗恭氏が明珍の名を継がせたいと伝えたのが、阿古さんでした。

当時はあまりの歴史の重さに躊躇していましたが、宗恭氏が他界したのちにその遺志をついで鎧司・明珍阿古として歩むことに。夫婦の共同作業で、平安様式の大鎧を手がける数少ない鎧司として活動していました。しかし、2019年に夫の夘月永年氏が他界。最愛の夫を突然亡くした阿古さんは、もう2度と立ち上がれないのではないかというほど打ちのめされたそうです。

それから4年余り。鎧作りを続けられたのは職人さんたちの支えと周囲の励まし、そして「大鎧は美しいという思いがあったから。それがなかったら生きられなかった」と阿古さんはおっしゃいます。大鎧への思いが師との出会いを導き、夫婦を繋ぎ、絶望から連れ出してくれたのでしょう。美には、そういう力があるのですね。

鎧司の仕事は、ただ昔の鎧を再現するのではなく、注文主の体型や希望に合わせ、置いても着ても美しくなるように細部に及ぶまでデザインを考えて、世界に一つの鎧を作る仕事だそうです。頑固な一流の職人たちに指示を出し、出来上がった部品を鎧司自ら組み上げて作り上げる匠の技。機会があればぜひ、明珍阿古さんの作品を見てみてください。鎧の印象が全く変わります。2月には京都の虎屋ギャラリーで個展が開かれます。