帰京直後、夫は久しぶりに娘と過ごせることがうれしくて、一緒にお風呂に入ろうとしましたが、娘が「うぉーっ」と、うなり声をあげて……。頭髪にシャンプーを泡立てたまま浴室から追い出されてしまったこともありました。

—— 娘さんは環境の変化が苦手で、かなりのストレスとなってしまうのでしたよね。

はい。環境の変化、そして音にも敏感です。

このころ、娘はますます音に敏感になり、私が隣で寝がえりをうっても目覚めてしまうほどでした。一度起きてしまうと、そのあとは眠れなくなってしまうので、家族が娘を起こさないよう、注意を払いました。

夫は帰宅時間が不規則です。娘が寝た後に帰宅した夫が玄関のドアを開けると、その音で娘が起きてしまう、ということが何度もありました。そのため、夫は家の近所にワンルームの部屋を借り、帰宅が遅くなる日はそこで寝泊まりするようになりました。

よく大声で寝言をいう次女は、同居している祖父母の寝室で小学6年まで、一緒に寝ることになりました。

—— さほさんはもちろんのこと、 ご主人も妹さんも、ご両親も。家族総出で、娘さんにストレスをかけないように最善を尽くされていたのですね。

そうですね。二度寝ができない娘が起きてしまうと、家族が寝不足になってしまいますから……。みんなの健康を守るための苦肉の策でした。

当時の私は、娘の将来の姿が描けず、不安で押しつぶされそうになっていました。

担任の先生に「この子はどんな大人になっていくのでしょう」と尋ねたことがあります。すると先生は、「そうねえ、きっととても几帳面で、きっちり時間を守る人になると思います。お出かけの10分前には身支度が整っているような。おむつも時期がくれば外れるから大丈夫ですよ」

えええっ!?

ほかの先生方も、うなずいています。

信じがたいことでしたが、驚いたことに今の娘は、まさに先生たちの予言通りになりました。


【つづき】第10回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く⑩】4年半ぶりに復職。しかし時短勤務できるのは子どもが小3の終わりまで。「あと何日、働ける?」日々募っていく"焦り"

 


著者プロフィール
工藤さほ

1972年12月生まれ。上智大学文学部英文科卒。1995年朝日新聞社に入社。前橋、福島支局をへて、東京本社学芸部、名古屋本社学芸部、東京本社文化部で家庭面、ファッション面を担当。2012年育休明けからお客様オフィス、2019年から編集局フォトアーカイブ編集部。こども家庭審議会成育医療等分科会委員。
東京都出身。

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こちらもおすすめ>>>朝日新聞のポッドキャスト・インターネットラジオ配信 (asahi.com)「障がい児を育てながら働く 「発達が遅れています」医師から告げられ(前編)} #569 【朝ポキ】


構成・文/工藤さほ
編集/立原由華里

 


第1回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く①】親が離職し、経済的にも困窮。ワンオペ育児・介護で親も心身に不調をきたし...という現状を変えるために

第2回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く②】「この子、なにか違う?」出産直後から日々募っていく、そこはかとない“不安”

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