「復職した最初の半年は、それまでとは全く違う新しい仕事に慣れるのでせいいっぱいでしたし、所属長以外にはよほど業務上必要に迫られるか、身近なひとでないと、娘のことを話すことはできませんでした」

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「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。

障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。

この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第10回です。


第9回はこちら>>>【障がい児を育てながら働く⑨】父親を「認知」できなくなってしまった娘。そして日々綱渡りな、学校→放課後等デイサービスへの「移動手段の確保」

—— 娘さんが4歳で保育園に入園。そしてお仕事に復帰されたのですね。

はい。4年半の産休・育休をへて、復帰しました。子どもを産むまでは、新聞記者として日本各地を飛び回り、国外出張もあり、昼夜問わず仕事をしていましたが、配属されたのは、お客さまからのご意見や情報提供を承る部署。仕事内容はがらりと変わりました。

始めこそ、記者職から外れるんだと内心しょんぼりしていたのですが、あまりにも育児が大変すぎましたし、出張や残業がないので、仕事と育児が両立しやすい部署でした。