思ったことを口にし、わからないことを尋ねてみることも「発言力」


対馬さんはインタビューの中で、今後女性の活躍で期待されるのは「発言力」であり、それは「社会を変えていく力」だと述べています。この言葉にとても励まされました。多くの女性は今の環境で生き残るのに必死で、理不尽なことも「仕方ない」「必要悪だ」と諦めています。ここは日本、世界でも最悪レベルのジェンダー格差社会。女が余計なことを言っても潰されるだけ、エネルギーの無駄だと。本当に、何度もそういう気持ちにさせられますよね。発言力と聞いて抗議行動を思い浮かべるかもしれないですが、それだけが発言ではありません。もちろんはっきりと抗議することが必要な時もあるし、それ以外の方法もあります。例えば「私もやりたいです、できるはずです」と表明すること。お祭りの女性がそうですね。着衣でもいいなら女性も参加できるはず、ぜひ参加したい! と声にしたのです。

「私もやりたい、できるはず」が変えた女人禁制。担い手不足の日本も継承のために形を変えるとき【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

医学部に受かりにくいことを女性が「仕方ない」と思い込まされていた背景には、女性が理系を選択することを「女らしくない」とする考え方や、女性は男性よりも理数系の勉強ができないという決めつけがあります。実は私、高校の時に生物の勉強が大好きで、医療に関わる仕事をしたいと考えたこともありました。でも、理系の仕事につく女性はうんと優秀な限られた人たちだと思っていたので、数学が苦手な自分にはとてもそんなことは無理だと、詳しく調べることも先生に相談することもありませんでした。でももしもあの時、自分に合ったやり方で数学を学び直し、生物の勉強に関係のある道に進んでいたら、違う人生を歩んでいたかもしれません。無理だと決めずに「何か方法はありますか」と人に相談するのもまた、発言力なのです。

 


理系文系といえば、先日は東大が5年制の新学部構想を進めていることが話題になりました。複雑化・多様化する世の中の課題を解決するには、社会システムの変革を含む広い意味でのデザインが重要であるという考えのもと、新たに創設する学部だそうです。人文学、社会科学、自然科学、工学などの学問分野を跨ぎ、文理融合の知識に基づく「デザイン」教育を展開するとのこと。まさに、違いを持ち寄って新しい社会を創造する力が求められているのですね。

男か女か、文系か理系か。日本人か外国人か、健常者か障害者か。いろんな線引きで自分に似ている仲間を見つければ話が早いでしょう。居心地の良い場所を見つけるのも大事ですが、世の中が見えなくなることがあるので注意が必要です。ふんどしじゃなきゃダメ、仕事人間じゃなきゃダメ、女は文系、理系こそ優秀。いろんな思い込みがありますね。高齢化やAIの登場で日本の社会も新しいやり方を見つけなければならない時期です。まずは身近なところにも違う考えの人がいると互いに知らせ合わないと。やりたいことは口にする、おかしなことは見過ごさない、わからないことは尋ねてみる。きっと、仲間も見つかるはずです。声出していきましょう!

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