今も鮮明に覚えている、入学初日の出来事


今でも映画やドラマでゾンビが出てくると、当時の自分を見ているようでちょっとしんどいほど全身の皮膚がひどい状態になってしまって、服を着るのも、寝ているのもしんどくて、手袋をしたり手を縛ったりして寝ても、起きたらベッドはちょっとした犯行現場というか、現場検証をしたいような雰囲気になっていて、もうなんか息をしているだけで精一杯、記憶もあんまり残っていない。

そんな満身創痍な姿で小学校に入学することになり、入学初日、「クラスメイトの子と自己紹介し合って握手しましょう」みたいな流れになったとき、ある同級生が私の姿を見て握手するのを躊躇し「それ、うつらないよね?」と聞いてきた。私は「うつらないよ! さわってうつる病気じゃないから大丈夫!」と明るく笑いながら満身創痍感が悟られてはいけないと「いたって元気、なんてことないよ」みたいに答えたんやけど、当時の記憶がほとんど残っていないなかでもその時のやりとりは割と鮮明に覚えていて、それはおそらく、自分は他者にとって「さわりたくない人間」なのだということにちゃんと気づいてしまったという出来事で、そのクラスメイトの純粋さから繰り出された現実に私は膝を打つように納得し、同時にどこかをぐさっと刺されたように自覚してしまったんやと思う。

その子はとってもすてきなやさしい子で、今でも友人だし、こどもにとってその疑問ってなんの他意もないし、自分とは違う自分が知らない他者に対して抱く当然の感情でもあると思うのだよね。でも、私のなかでは決定打というか、家族以外の他者に自分という存在がどう見えてどう思われるのかという現実を突きつけられた出来事でもあったから鮮明に覚えているのだと思う。

幸運なことに、その後は両親の全力のサポートのおかげで漢方や食事療法を用いてひどいアトピーは改善していき、症状とうまく付き合えるようになった。漢方薬は当時、味覚が繊細なこどもからすると信じられないほどまずくて、毎回飲むのに一世一代というか、清水の舞台から飛び降りるような気持ちとは今まさにこのことなのではないかというほどの勇気が必要で「飲める飲める飲める!」とリングに上がるボクサーのように自分を奮い立たせてなんとか飲み干し、飲み終えたあとは「はあはあ」と四つん這いになって落ち込みたくなる気持ちをぐっとこらえて涙を滲ませていた。のちに大人になって韓国で漢方茶を飲もうとしたらその時の記憶が蘇ってきてどうしても飲み切ることができなかったぐらいのトラウマにはなっているらしい。

食事療法は動物性脂肪を摂らないように基本肉を食べず、砂糖を使わず本醸造みりんを代用したりして母が工夫していろんな料理を作ってくれた。とても感謝しているし、自分で料理をするようになってどれだけの労力やったやろうかと頭が上がらない気持ちやけど、その当時は外界に溢れたおいしそうなスナック菓子やファストフードやレストランにあるジューシーなごちそうが食べられないのは手が震えるような我慢が必要だったので、いまはもうなにも我慢したくない。「食べたいものは食べたいときに食べたいだけ食べようや」をポリシーにして生活し、クレジットカードの明細を見ては静止、銭湯で体重計に乗っては静止している。

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