1981年の発売以来、多くの人に読み継がれている『窓ぎわのトットちゃん』。戦争の影に追われながらも「トモエ学園」でいきいきと過ごす子供たちの日常を描き、今なおみずみずしい感動を与えてくれる黒柳徹子さんの自叙伝です。国内だけで800万部以上、全世界では2500万部超の売り上げを記録し、「最も多く発行された単一著者による自叙伝」としてギネス世界記録にも認定(2023年12月)されました。
そんな前作から42年ぶりの続編として黒柳さんが書き下ろしたのが、『続 窓ぎわのトットちゃん』です。戦時下に「トモエ学園」を離れたトットちゃんが、家族とどんな日々を送り、生きる希望を見出していったのか——。ミモレでは3回にわたり、その物語を特別に一部ご紹介していきます。今回は、東京大空襲によって青森に疎開することになったトットちゃんたちのお話です。
前回記事「常識に囚われないパパと、魔法使いのようなママ。“トットちゃん”がきらきらした瞳で見つめた両親の姿」>>
東京大空襲…青森への疎開を決めたトットちゃん一家
まだ少女だったトットちゃん=黒柳徹子さんが初めて写真館で撮影した家族写真は、出征するパパのためのものだったといいます。ヴァイオリニストのパパはその写真を見て「ママ、きれいだね」とささやき、戦地へ旅立っていきました。東京の北千束に住んでいたトットちゃん一家、パパが出征した後も戦争による空襲は激しさを増していきます。
東京大空襲を生き延びたものの、疎開することを決めたママ、トットちゃん、弟の紀明ちゃん、妹の眞理ちゃんの家族4人は、青森の尻内(現在の八戸)にいる知り合い「沼畑(ぬまはた)のおじさん」を頼り、“山盛りの人を乗せた列車”に乗って、なんとかおじさんの家に辿り着きます。親戚でもないトットちゃんたちのことを受け入れてくれるのか……と不安でソワソワするママでしたが、その心配は杞憂に終わったということを次のように伝えています。
親子四人で突然押しかけたのに、白いごはんとお汁、お魚の干物とお漬物、それから果物の夜ごはんをごちそうしてくれた。久しぶりの白いごはんのおいしさをかみしめながら、ママの心配は取り越し苦労かもしれないと思った。白いごはんをはじめて見た眞理ちゃんは、「これ、なあに?」とママに聞いていた。
「物置でもどこでもいいので、家族四人が暮らせるようなところはないでしょうか」
ママはいろいろな事情を話して、一生懸命お願いをしていた。その日はおじさんの家で、家族四人並んで眠った。
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