高校野球で歴代最多の140本塁打を放った岩手・花巻東高の佐々木麟太郎選手が米スタンフォード大学に進学することになりました。佐々木選手の入学をめぐっては、素直に「おめでとう」という声が寄せられる一方、「スポーツと勉強を両立させるのは容易ではない」「いや、佐々木選手は勉強もよくできる」など、日本特有のペーパー試験を絶対視する大学入試価値観を引きずったままの見解も聞かれます。 

高校卒業を報告する佐々木麟太郎選手のインスタグラム投稿。

米スタンフォード大野球部の公式インスタグラムより、佐々木選手の入部を祝福する投稿。

従来の日本では、大学入試というのは学力テストの一発勝負で決める方式が主流でした。これは戦前の旧制高校や帝国大学の入試から来ているもので、とにかく1点でも点数の多い人が勝ちという仕組みになります。

戦前の場合、そもそも大学に行く人が限られていましたから、あまり大きな問題は発生していませんでしたが(それでもいわゆる受験戦争の弊害といった指摘は戦前にも存在していました)、戦後、社会の大衆化が進むにつれて、これが大きな問題を引き起こすようになります。
 

 


今や若者の多くが大学を目指す社会となっていますから、テストの点数だけで入学を決めるシステムにしてしまうと、特に高得点者を中心に、1点差で何百人、何千人もの人が並ぶことになります。

テストの点数を絶対視する人にとっては、1点でも高い人が勝ちというルールなのだから、何の問題もないと考えるのでしょうが、現実問題として、その後の長い人生や、日本社会全体への影響などを考えた時、1点に過剰にこだわることには弊害が多くなってきます。

1点だけ点数が足りなくて不合格だったかもしれませんが、高いコミュニケーション能力を持ち、社会のリーダーにふさわしい資質を持った人材がいたかもしれませんし、1点でも点数を多く取るために、高校時代の時間のすべてを勉強だけに投じるという行為もやはり合理的とは言えません。1点差にこだわるのではなく、もっと幅広い視点で人を選んだ方がよいのではないかと意見が確実に出てくることになるわけです。

この点において諸外国の大学は、長年にわたって試行錯誤を繰り返しており、選抜方法はかなり柔軟になっています。

佐々木選手の入学について「スポーツで入るのは簡単でも、大学の勉強は大変だ」といった意見が出てくるのは、スポーツが得意で大学に入った人は、(勉強はダメなのに)特別枠で入っているという感覚が共有されているからでしょう。実際、学力試験絶対の昭和の時代から、日本ではスポーツができる学生は特別枠で入学させるということを行ってきましたから、そのようなイメージが出来上がっているのだと思います。

しかし佐々木選手が入学するスタンフォードなど、諸外国の大学の考え方はちょっと違います。学力テストありきで、スポーツや芸術は「特別なご褒美枠」という概念そのものが存在しないのです。