平穏な日常に潜んでいる、ちょっとだけ「怖い話」。
そっと耳を傾けてみましょう……。

 


第64話 母の祈りと娘の世界【前編】

 

「えッ、夏の語学研修4週間で総額120万円!?」

アプリに配信される娘の学校だよりを見て、仕事帰りの電車の中で思わず声が出た。

――ちょっと待って……これって確か、入学前の説明会では、希望すれば全員行けて、9割の生徒が行くって言ってたアレだよね? 4年生のときにきいた説明会では「研修費として40から50万円、航空券などは別途」って言ってたから、なんとかなるかと思ってたけど、120万円は絶対無理。

私は動揺して、必死にPDFを拡大する。可愛らしい飛行機のイラストがついているけれど、シングルマザーの私には背筋が寒くなるような情報のオンパレード。

――円安と航空券代の高騰により、コロナ禍前の倍以上の費用になってしまいましたが、希望者全員が中学時代に海外名門校で過ごせるプログラムは当校の最大の魅力のひとつです。この研修を見据えて、夏までは英語特別プログラムを実施するので参加希望者は講座費10万円を添えて来週申込をしてください。

くらくらと眩暈がした。

同時に中2になった娘、流花の可愛い笑顔が浮かぶ。英語が得意で何でも頑張り屋の流花は、当然ほかのみんなと同じようにこの研修に行くつもりだろう。昔聞いた話では、この研修に行かない1割の子は、ご両親のどちらが外国籍で、夏はまるっと海外に帰省するから研修は必要がない子たちらしい。

私は口座の残高を思い浮かべる。年間100万円を超える中学受験の塾代を出しながら、10年かけて500万円を必死で貯めた。もっとも半分は、流花の父親と離婚したときの慰謝料だけれど。

月5万円の養育費は滞りがちで、あてにするのは危険。貯金は、なんとしても大学進学資金として手を付けずにとっておきたい。親子二人、私がプログラマーとして働いている間は、なんとか私立中学に通える算段だったけれど……。

念願の中学に合格して、通い始めてから1年が経ち、「現実」が容赦なく私の甘さを糾弾してくる。もう後には引けないというのに。