パシリにされ、ペットボトルを投げ落とされた
ーー学校でいじめられることもあったんですか。
加藤:ありました。本当に、なんでこんな変な噂を流されてるんだろう、ということがあったり。高校のときは、みんなから注文をとって昼休みに代わりに買いに行くっていう、購買委員っていうのがあったんですよ。僕の通ってた教室は7階にあって、購買が別の校舎の1階にありました。クラスのリーダーのギャルに、「諒くん絶対購買委員に向いてるよ」って言われて、じゃあなろうかなって、購買委員になった途端に、毎日のように、めっちゃ頼んでくるんです。もう、パシリなんですよ。
あと、7階からペットボトルを投げつけられて、自分の目の前にバーンって落ちてきたこともありましたね。上から「ごめーん、落としちゃった! 取ってきてぇ」って言われて。
ーーもう小中高ずっといじめもあったし、テレビに出たことでちやほやされることもあったという感じでしたか?
加藤:そうです。いじめにも、波があるんです。全国放送のテレビに出たときはちやほやされて、ちょっと潮目が変わるみたいな感じなんですよね。高校では、途中から音楽体育っていうのが始まって、そこではダンス経験メンバーが先陣を切るんです。僕はダンスをずっとやってたから、僕のことをあんまりよく思っていなかった女子も、一目置いてくれたりするんです。そのときにはヒーローになれるんです。本当にダンスが助けてくれた感じがしますね。「芸は身を助ける」って本当にあるなって思いました。
自分の居場所はここだけ、エンタメに救いを見出した
ーー「仮に事務所をクビになっても、役者という仕事を続けたい、続けなきゃって」(文春オンライン 元子役・加藤諒が振り返る「仕事なかった時代」)と言うくらい、この仕事が居場所だと思えるのも、そういった学生時代の経験がルーツなのかもしれませんね。
加藤:空手も水泳もやったし、塾とかも行ったりしてたけど、結局続けてこれたものが、ダンスとお仕事でした。
大学に行くときに、親からは資格を取ってちゃんと手に職つけて欲しいって言われたけど、僕はやっぱり自分の居場所は、エンターテイメントの世界だと思っていました。東京に出るんだったら、大学行きなさいっていう約束は守って、多摩美術大学に行きました。今は両親は応援してくれてます。
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