こんにちは、エディターの昼田です。先週はママ友と花見に行ってきました。
保育園の保護者会係を務めるママ友が、話の流れで
「文句があるなら自分が係になってやればいいのに、って思うよね」
愚痴がポロリ。うんうん、わかるよ。謝恩会や懇親会など親が参加するイベントは色々ありますが、どんな関わり方をしたいかは人それぞれ。あーだこーだ文句をいうわりには何もしない人っている。
いや〜耳が痛い。文句を言ってるだけじゃダメってこと。
先日、私が文句を言いたくなったのはフリマでの出来事。
会場の入り口にあったぐちゃぐちゃの服たち。1枚100円。どうぞお好きなものを持っていってくださいってことか。確かに安いし、私もいいものがあったらウチに連れて帰ろうかと思いましたけど、いや〜見る気がしない。ねぇ、これゴミみたいに見えるのは私だけ!?
もったいないから誰かもらってくださいという気持ちは分かるんだけど、なんか違うでしょ、と無性に腹が立つわけですよ。
私だって1000枚捨てましたから、やっていることは同じかもしれません。でもこれだけは胸を張って言えるんですよ。
私は、すべてのものにもう一度光を当てた。
引き出しの中でぐちゃぐちゃになっていた服も、さほど着ていない新品同様の服もすべての服に対して、シミや汚れをチェックし、自分で落とし、洗濯とアイロン。何枚も写真を撮って出品する。包装するときもきれいに、美しく。やりながらいつも考えていたことは「いかに新品に近づけられるか」。
当初はメルカリで出品者として悪い評価をもらいたくないからやっていたことですが、今となってはこれが私の”普通”。メルカリだろうが、買取業者に持っていく場合も同じことをします。いかに新品に近づけて、次の人に渡せるか。
だからね、フリマに行くと可哀想な扱いをされている服が多くて悲しくなるんですよ。
どんな意図をもって出品しているのだろう? 「なんとかして次の人にお譲りしたい」なのか「うちのゴミ(不用品)、持っていってください」なのか。商品を「ゴミ」として捉えるか、まだまだ人の役に立つ「価値あるもの」と捉えるか、そのあり方は売り方にも違いがでますよね。
きれいに見やすく並べている方もいれば、散乱状態の方も。あなただったらどっちのお店で買いたいですか?
もったいないと言いながら、モノへの愛がなさすぎる。
そうそう、こうやって「文句を言いたいこと」は「やりたいこと」なんですよ。「私だったらこうするのにそうなっていない」から怒りが発生するんです。
私は新品じゃないものにも光を当てたい。捨てられる服をもう一度輝かせることができたら。ゴミではない見せ方ができたら。みんなが欲しくなる ”完売する古着市” なんてできたら最高なのに……(ニヤリ)。
そう、これ、私のやりたいことです。
他にもありますよ。
一回着ただけでボタンが取れるニット。裾上げの糸がほどけるパンツ。なぜこんなクオリティで売るの? 検品も甘すぎる。私だったらこんなクオリティでは絶対渡さない。つまり、私がやりたいのは品質の高い商品を提供すること。
みなさんも世の中に対して怒っていること、ありませんか?
なんでこうなるの?
なんでこういうサービス(商品)がないんだろう?
そして溢れる怒りの先に一歩踏み込んで考える。
「だったら私は、どうだったらいいのか」
冒頭のママ友の話に戻ると、文句は誰でも言えるんですよね。大事なのはそこからです。
私のこれまでの仕事を振り返ると、新品をプロモーションしていく仕事がほとんどでした。はっきり言って売るのは得意なんです(笑)。そのノウハウを今すでにある服に使うことができたら。
これ以上余計なものを生産しないように。
今私にできることを、少しずつーー
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著・昼田祥子
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クローゼットに収納術はいりません。
「クローゼット=本当の自分」にできれば、勝手に整うものだから。
ただ、自分の心地よさに従うこと。
本来の自分を生きるという覚悟を決めること。
捨てられずに人生を詰まらせているものに向き合い、手放していけたとき、人生はすごい速さで自分でも思いがけない方向に進んでいきます。
1000枚の服を溜め込んだファッション雑誌編集者の人生を変えた「服捨て」体験と、誰でもできるその方法を伝えます。
着用・文/昼田祥子
構成/出原杏子
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