愛は動機じゃなくて結果だ

もしかしたら、私も夫の過去ではなく現在だけ見るようにすれば、新しい関係を築けるんじゃないか? それこそこれから世界一の恋……リレーションシップを構築することだって可能かもしれないと思った。なんだ、やっぱりお前は夫を愛しているんじゃないかと、あなたは突っ込むだろう。

ええ、愛しているでしょうよ。一度は魂殺されてまでも関わり続けるのが愛じゃなかったらなんなんだよ。薄々わかってきたけど、愛は動機じゃなくて結果だ。他者との関わりを持とうとする動機は、私たちが愛と呼んでいるものとは別の何かなのだ。損得勘定とか本能とか脊髄反射とか習慣とか世間体とか好奇心とか規範意識とか意地とか。その動機によって関わりを持つ決断をした結果、大抵はえれえひどい目に遭ったりメンタルやられるほどめんどくさい事態に陥る。愛とは、人がそのように他者との関わりの中でややこしいことに身を投じている状態を言うんだろう。だから別に愛は幸せじゃない。だけど愛には、なんだか知らないが尊いと思わせるものがある。 そうそう、ここで用いている「幸せ」という言葉にもでかいトラップがある。俺たちは、幸せってやつは甘くて完璧なものだと思わされているが、幸せもまた、なかなかに出来が悪い。水漏れ隙間風満載の欠陥住宅である。 事故物件の欠陥住宅でめんどくせえ関わりを生きることが、「幸せな愛」なのだ。だとしたら私はすでに幸せな愛を知ってるんじゃないかと、他人の再婚話で気づいたわけである。

槇原敬之の名曲に50代の今また涙。「世界一素敵な恋」なんてないと知る私が気づいた夫婦の可能性【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

もう、世界一の新しい恋に出会うことはないだろう。でもあの失われた純真を惜しみつつ、この思ってたのと違う「幸せな愛」を生きてみるのもありなんじゃないかと今は思っている。マッキーがまた刺さるようになったのは、老化じゃなくて進化なんじゃないかと思っている。

ふっふ。明るい締めで安心したでしょう。でもね、私の心の中にはイザナミさまがいるのですよ。黄泉の国の女神さまが。次回はその話をしましょう。
 

 

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