文学ジャンルを超えて活躍中の人気詩人・最果タヒさん。「最果さんの紡ぎ出す言葉にジェラシーを感じます」と語る美容エディター松本千登世さんと、言葉をめぐる対談が実現しました。第2回目のテーマは、言葉の煌めきを自分の力に変えていくには? 美容のプロ・松本さんと詩のプロ・最果さんが、言葉の煌めきをどう自分の美しさや光に変えていくか語り合います。

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言葉のプロフェッショナルに学ぶ「大人こそスマートに毒を吐きたい!」【詩人・最果タヒ×松本千登世】>>
 

美しいと感じられるのは、その人の中に既に美しさがあるから。世界は今日のあなたの心を移す鏡【詩人・最果タヒ×松本千登世】_img0
 

ーー松本さんのエッセイ『顔は言葉でできている!』は、「生まれ持った顔立ちより、育っていく顔つきの方が大事になっていく」という、大人にはとりわけ刺さるテーマのエッセイ集。さらに、顔つきは、日々、読んだり聞いたり見たり発したりする言葉によって、どんどんその人の顔つきが変わると。松本さんの今の顔を作り出したエピソード集とも言えます。
 

 

顔は言葉でできている!
 

松本千登世さん(以下松本):そういう意味でも、タヒさんの言葉は新しい衝撃を私の顔に与え続けていると思います。

最果タヒさん(以下最果):ありがとうございます。詩は、読んでいる人の“川に浮かんでいる枝”みたいなものなので、松本さんのように掴んでくれたらとても嬉しいけれど、同時にそれ以上でもないです。私自身は、実は、松本さんが専門とされているメイクや美容の世界が大好きでとても興味があります。

松本:タヒさんはお顔出しされていないけれど、本当にオシャレ。メイクもかっこいい。この場で言わせてください。前回お話ししたけれど、タヒさんの言葉には最終的に読む人を自由にしてくれる魔法を感じるのですよね。風通しのいい顔になっちゃう。

最果:資生堂の現代詩花椿賞を創設した宗左近さんの言葉に、「お化粧も詩である、ファッションも詩であるという立場に僕は立ちたいんです。資生堂の仕事というのは、日常にあって日常を超えること。現実を童話の世界に変えること。一種の魔法。だから、詩と同じです」というのがあって。私はこの言葉が本当に大好きなんです。美しさって説明されてわかるものではなくて、ただそうだとわかるからわかる、みたいなものですよね。そして詩もそうだって私は思うから。だから、私にとってこの賞をいただけたのは特別なことでした。

松本:まさに! タヒさんのエッセイと詩、どちらも魅力的ですが執筆の過程はかなり違うのでしょうか?

最果:違うと思います。エッセイは自分の意識や日常の出来事から綴っていますが、詩は自意識のあちら側へ、言葉を使って行こうとするときに生まれるので、思ったことや考えていることを書くのと違っています。実は、詩はどうやって書いているのか、いまだに全部はつかめていないところもあります(笑)。

松本:確かに、エッセイというジャンルは作品と著者のメンタリティが直接結びついていますから。

 

擦り合わせたくないことがある、無数に違う「愛」や「恋」が、稲穂のようにあちこちで揺れている。誰も同じでなくていいし、通じ合わなくていいし、分かりあわなくてよくて、それでも話していいとだけ思いたかった。お互いに、話していいと思いたい。『恋できみが死なない理由』より

最果:詩は、言葉の意味が書いた自分(作者)専用でなく、読み手によってどんどん変わり、思ってもなかった方にいく、アンコントローラブルな部分が面白いと思っています。だから、詩を読んで下さる方の読書体験の邪魔になるのではと、自分のプロフィールはあまり出ない方がいいなぁと思っていますし、顔出しもしていません。読み始めたら、言葉は読む人だけのものなので、そういうあり方でいたいなぁと思います。

松本:タヒさんの詩を読むのは単なる読書体験を超えて、自分だけと向き合える贅沢な時間。

最果:そうですね、詩は読者が自分の人生や考えていることを重ねて読むものだと思っているので、私の意図は読者に届いた後はあまり関係ないと思っています。もともと、鑑賞する側としても、作った人が一方的に何かを伝えるのではない、解釈自由なものをそっと委ねられるのが好きで、書くときもそんなふうにできたらいいなぁと思っているのかもしれないです。