消えてしまいたかった私が、夫と関わることで見つけた逃げ場

私はのちに夫となる男性と出会って間もない頃に、彼が「人は言葉で人を殺すことができるんだよ」と呟くのを聞いた。その数年後に彼は言葉ではなく行為によって私を殺すわけだが、そして私は言葉で彼を粉砕するのだが、そんなこと当時は知る由もない。なんだか深く傷ついていそうな男は自分よりもものがわかっていそうに思えて、私は男の言葉を信じ、彼に同情した。だって私は混ざりたいのだ。他人に混ざって消えてしまいたいのだ。だから、どんどん入り込む。侵襲の認識なく入り込む。入り込むのは相手の魂の中にではなくて(そんなことは不可能だ)、私の頭の中に生成された、本人そっくりの夫のバーチャルツインに、見境なく入り込んでいく。

いや、確か出会ったばかりの浮かれ同棲期には、ベッドの上でおでこと足をくっつけて「今なんか、グルって巡ったよね!」などと言い合っていた。力の塊のような電流のようなものが、輪になっている二人の中をぐるぐると粒子加速器かなんかみたいに、確かに巡っているような気がした、そして二人ではしゃいでいた。私たちって特別な二人なんだ! って。どんなカップルにもそんな、人に話すと軽く死にたくなるような愚行はあるものだ。でもいいじゃないか、誰も構いやしないのだし。

夫婦は他人だけど「特別な二人」。離婚も考えた私たちは、見知らぬ二人から一体何になり、この先はどう変わっていくのか【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

だけどあの時、ちょっと混ざっちゃったんじゃないかと思う。くっつけたおでこを電流が駆け抜けたように感じた瞬間「うわ何やってんだキモ」と微かに思いながら「ついに出会ったんだ、私を消してくれる人に」と信じようとしたんだから。後から思えば、あの時の夫はかつて破綻した人間関係の傷を埋めるために通常の数百倍の認知の歪みを生きていた。それを私も薄々わかっていたんだけど、病んでる他人といる方が、病んでる自分と二人きりになるよりはよっぽどマシだったのだ。

 

夫婦は他人だ。人間が混ざり合うことなんてない。だけど、どうも人生が生きづらいと、ジタバタしながら、あるいはビクビクしながら逃げ場を探していた者同士が一緒に過ごしているうちに、各々の頭の中に「あなたといる世界」というバーチャルな避難場所が出来上がることがある。その世界は愚頑な頭蓋に隔てられてはいるけれど、二人の関わり合いがあってこそ成立するものだ。その時に「私たちは一つになった」と幸せで重大な誤解をするわけだが、そんなものは幻想だとしても、一度ウイルスに感染した脳が完治後にも完全には元に戻らないのと同じように、一度関わったらなんらかの不可逆的な変化が生じてしまうのではないかと思う。

苗字を変えなくても、私はのちに夫となる男と出会って、元の私ではなくなった。私の一部が変性して違うものになった。彼にもそんな変化があったのだとしたら、私たちは見知らぬ二人から、一体何になったんだろう。そしてもうすぐまた二人に戻る私と彼は、これから何になるのだろう。切望していた「自分が消える」って、こういうことだったのか。私は元から消えていた。人と関わって自分が変わってしまう、変わり続けてしまうということは、見知らぬ己れが無限に出現し続けることなのだと、おおかた人生を使い果たしてから気づいた次第である。


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