「性加害者」を演じる役者への必要性


他にも、撮影の際にスタッフを最小限に絞り込むこと、前貼りなどの身体を隠すための衣装の手配もインティマシー・コーディネーターの役割です。このように、あらゆる面から、俳優が心に傷を負うことなく、演技に集中できるよう伴走すること。それだけでなく、制作側が思い描く表現を追求できるよう、作品のクオリティの担保のためにもインティマシー・コーディネーターは大きな役割を果たします。

明確かつ積極的なYES以外は「合意」ではない。性的シーンの撮影で俳優を支える、インティマシー・コーディネーターの役割_img0
 

俳優の高嶋政伸さんが自身のエッセイの中で、ドラマで性暴力の加害者となる役を演じた際、自ら制作側にインティマシー・コーディネーターを付けてほしい、とお願いしたことを明かし、大きな話題となりました。制作側は元々インティマシー・コーディネーターを付ける予定だったそうで、実際にインティマシー・コーディネーターと話し合いながら撮影を行う様子が綴られています。エッセイを読むと、性暴力のシーンは、加害者を演じる側にも大きな心理的負担を伴うことがわかります。高嶋さんは撮影を通して、「作品に関わる全ての人間の心に寄り添い、人間の尊厳を守りながら、この異常なシチュエーションをベストに撮影するためには絶対になくてはならない存在」(おつむの良い子は長居しない 第12回/高嶋政伸)だと感じたそう。
 

 


権力勾配によって役者を「消費」してはならない

明確かつ積極的なYES以外は「合意」ではない。性的シーンの撮影で俳優を支える、インティマシー・コーディネーターの役割_img1
 

西山さん曰く、日本は“塗れ場”が非常に多いのだと言います。
 


作品の内容に照らしたうえでの必然性もなく、ただなんらかの過激な描写で注目を引きたいというのが目的とわかれば、話し合います。まっとうな意図があってこそ、役者も演じるのです。「サービスカットがほしいから」という制作側のエゴで、出演したいと思っている役者の気持ちを消費してはいけないと思います。
 


確かに、ほんの少し前まで、濡れ場を演じた俳優に対して、「体当たりの演技」などと評し、「一皮むけた」とか、「腕をあげた」とする風潮がありましたし、メディアが大きくそれを煽っていました。しかし、性的なシーンを演じることで俳優に負担がかかるのは事実で、必要性もなく挿入された性的なシーンであれば、俳優側も納得して演じられない可能性もあります。しかも、疑問を持っても、制作側と対等な関係を築けていない場合、言いづらいでしょうし、今後の俳優人生のため、と飲み込んでしまうこともあるのではないでしょうか。

制作側がやりたいことを俳優にやらせる、という一方的なものではなく、俳優の意思も尊重しながら、みなが納得感を持って進めることが必要だと思います。第三者であるインティマシー・コーディネーターが制作側に意図を尋ね、いたずらに俳優を消費しないために動いてくれたら、俳優にとってどれだけ心強いでしょう。これだけでも、インティマシー・コーディネーターの意義はあまりに大きいと感じます。