子どもたちの「知る機会」「挑戦する機会」を奪わないために

運動部に入れない、行事に参加できない、夏休みの思い出がない——。「贅沢」でも「可哀想」でもない“体験格差”の問題とは_img0
写真:shutterstock

また、筆者が体験の機会がなくて一番辛かったのは、「自分は何が好きで、何が嫌いなのか」が分からなかったことです。

オリンピックで活躍する選手たちを見るたび、思うことがあります。もちろん、選手たちには秀でた才能があり、人一倍努力してきたことでしょう。しかし、その前に、幼い頃に自分が得意で、好きなものが何かを知る機会が与えられていたのです。

自分にはその機会がありませんでした。部活動も、やりたいと思う前に、親から「お金がかかるから諦めてほしい」と懇願され、挑戦することが叶いませんでした。もしかしたら、自分の得意なこと、好きだと思えることが他にあったんじゃないか。うちが“普通”の家庭だったら、それを知る機会があったんじゃないか。今でもそんなことを思うのです。

 

では、体験格差を埋めるために、何ができるのでしょうか。公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンは、「スタディクーポン」という取り組みを行っています。寄付したお金で、子ども達が学習塾や習い事、体験活動等をできるというシステムです。

素晴らしいシステムだと思う一方、やはりこういった取り組みは民間だけでなく、国が行うべきだと思います。親にお金がないと部活動の選択肢が限られる、塾に通えないという現状はおかしいと思うのです。部活動の費用や、塾や習い事の費用の公的な支援を充実させる。「生い立ち」により、子どもたちの選択肢が狭められないようにする必要があるのではないでしょうか。

写真/Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵

 

 

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