こんにちは、教育ライターの佐野倫子です。
突然ですが、我が家から徒歩圏内に某大手中学受験塾があります。夏になると1日中たくさんの小学生たちがぐんぐん吸い込まれていくのも風物詩。引っ越してきた10年前は「皆、頑張ってるな、すごいな」とほほ笑んでいました。
しかし、息子の中学受験を終え、訳あって足掛け5年もこちらにお世話になった今。
横断歩道を渡る小学生軍団を見ると、「うう……あんなにハードな勉強を長時間頑張る、小さな熱い戦士たちよ……」と駆け寄って猛烈にハグしたい衝動に駆られます(完全に迷惑)。
今回は「教育ライターとして予備知識はあったのに、息子の中受伴走をしたら思ったより大変すぎた話」にすこしだけお付き合いください。
中受派の母VS高受派の父
そもそも我が家では中学受験をするかどうかについて意見は割れていました。
先に正直にお話ししておくと、長男の中学受験を終えた私の感想は「うん、中学受験か高校受験かは、本人のタイプと家庭の状況による、好き好きだな」です。そういう意味では、子どもたちに中学受験をさせようと言ったとき「え? 特に必要ないのでは?」と言った夫が正しかったんです。ちょっと悔しいけれど。
私が受験させようと思った理由はいくつかあります。
① 自分も子どもの頃に経験して達成感があったし、進学した学校も楽しかったので中学受験はいいものだと感じていた
② 本気で頑張るタイミングとして12歳が小さすぎるとは思わない
③ 中高一貫校で部活や勉強、友情構築にじっくり取り組んでほしい
④ 高校受験を経験したことがないのでよくわからない
改めて書きだすと、ひとは「自分が経験したこと」をもとに判断するし、「経験していないこと」に対しては無意識にバイアスがかかるのかなと思います。
そして過去の経験は美化されがちで、きっと私も中学受験生だった頃は「あー塾面倒くさ。どうして小学生なのにこんなに勉強しなきゃならないのさ」と思っていたはず。
でも、大人になって振り返って解像度が下がると、「すごく意味があった。いい時間だった」と大味にまとめてしまう。第1志望にも第2志望にも落ちたことも「結果オーライ、むしろ良かった」くらいに本気で思っているわけです。
でもここに落とし穴が。親は善意100%、多かれ少なかれ中学受験にメリットを感じていて、子どもにその「チャンス」をあげたい、と思っています。ところがあくまで主体は子ども。親の経験則が役に立つとは限りません。
そのことは、小説『天現寺ウォーズ/御三家ウォーズ』、『中学受験ウォーズ 君と私が選んだ未来』や受験取材記事を書いた経験から十二分に知っていたはずでした。
それでも、やっぱり私は無邪気に「できる環境があるなら、中学受験頑張ったらいいことあるさ」と思っていたんです。
母というのは、マジメでシンプルなだけに業が深い。
それに対して真向から違う意見を述べたのが夫でした。
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