アーティストがライブで差し出しているもの
さて、「無観客ライブ」に思い至ったもうひとつの理由とは。
尾崎:ライブって、ある一定の規模を超えると、そこから先は5万人も10万人も、感覚がよくわからなくなってくると思ったんです。会場の作りや、照明の関係、時間などにもよると思いますが、例えば5万人の会場に3万人入っているより、2万人の会場に2万人入っているほうが多く見えたりもする。結局、数字はどこまで追いかけてもキリがない。どこかで価値が消える瞬間があると思ったんです。
それはもしかしたら尾崎さんがライブに見出している「価値」の問題と言えるかもしれません。ライブやアーティストのあり方の再構築、再定義をもたらしたコロナ禍を経て、その「価値」は尾崎さんの中でより明確になったのでしょうか。
尾崎:コロナ禍で音楽活動が一回止まったことで、すごく勉強になったんです。2012年にメジャーデビューして以来、ライブシーンはずっと盛り上がっていて。自分は、当たり前のように出来上がったシステムに、いいタイミングで乗っかってやってきただけだったんです。それに対して「どうなのかな」と考えていたタイミングでコロナ禍になり、ライブが止まった。その時「これはいい機会かもしれない」と思いました。振り出しに戻って、ここからまたいい体験ができるなって。実際、お客さんの数を制限しながらちょっとずつライブをやり始めた時に「この感覚を忘れないでおこう」と思ったのを覚えています。今後は、ライブを主戦場にしているバンドと、そうでないアーティストが、よりはっきり分かれていくと思います。今は特にライブをしなくてもアーティストとして十分やっていけるし、顔出しせずにステージに立つ方もいます。 それでも「生で音楽を聴きに行く」という行為は、絶対に消えないと思うんです。
アーティストがライブで差し出す「人間としての自分」を、ライブで受け取りたいと考える観客は絶対にいなくならない。プレミアを求めもがく主人公・以内がたどり着いたラスト。そのこじらせまくった姿に青臭くも胸が熱くなってしまうのは、そんな尾崎さんの思いが溢れているからかもしれません。
尾崎:物語を書いている時は、自分の創作への欲望に登場人物を付き合わせている感覚で、「以内をそろそろ解放してやらなきゃいけない、楽にしてあげないと」と思っていました。それでも「もう少しだけ書きたい、もう少しだけ付き合ってもらいたい」という気持ちがあったんです。こういう皮肉そのものみたいな小説を書いて、長いことプロとして当たり前のように音楽をやっているけれど、どこかにそういう真っ直ぐな気持ちがあるんだと思います。最後は主人公に感情移入しながら書いていました。あれが自分の本音だったと信じています。
<INFORMATION>
『転の声』
尾崎世界観・著
文藝春秋
第171回芥川賞候補作。
「俺を転売して下さい」喉の不調に悩む以内右手はカリスマ”転売ヤー”に魂を売った⁉ ミュージシャンの心裏を赤裸々に描き出す。
主人公の以内右手は、ロックバンド「GiCCHO」のボーカリストだ。着実に実績をつみあげてきて、ようやくテレビの人気生放送音楽番組に初出演を果たしたばかり。しかし、以内は焦っていた。あるときから思うように声が出なくなり、自分の書いた曲なのにうまく歌いこなせない。この状態で今後、バンドをどうやってプレミアムな存在に押し上げていったらいいのだろうか……。
そんなとき、カリスマ転売ヤー・エセケンの甘い言葉が以内の耳をくすぐる。「地力のあるアーティストこそ、転売を通してしっかりとプレミアを感じるべきです。定価にプレミアが付く。これはただの変化じゃない。進化だ。【展売】だ」
自分のチケットにプレミアが付くたび、密かに湧き上がる喜び。やがて、以内の後ろ暗い欲望は溢れ出し、どこまでも暴走していく……。
果たして、以内とバンドの行きつく先は?
著者にしか書けない、虚実皮膜のバンド小説にしてエゴサ文学の到達点。
撮影/田上浩一
ヘア&メイク/マキノナツホ
スタイリスト/入山浩章
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩
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