熱狂的な支持者にだけ向けてしゃべると、間違ってしまうこともある


尾崎世界観さん(以下、尾崎):アマチュアでやっていた頃は、大体のバンドが「魔法のiらんど」というサイトでHPを作っていたんですが、そこの掲示板にメッセージが来るとすごく嬉しくて、よく気にして見ていました。当時からずっと、自分の活動に何か意見をもらうということが好きだったのかもしれません。長いことバンドをやっていると、本音を聞ける場所がSNSくらいしかなくなってくるんです。周りの人に「どうだった?」と聞いても、もう「良かった」としか返ってこない。だから腹は立つけれど、定期的にエゴサーチをしないとどんどんだめになっていきそうで。作品にも書いたけれど、心を鍛える筋トレみたいなものですね。

 

尾崎さんにとって、アンチからの声は「風が吹いて前髪が目にかかって邪魔だな、でもたまに吹いてくると気持ちいいよな、くらいの感覚」。それより恐ろしいのは、むしろ自分を愛してくれるファンの存在です。

尾崎:自分を好きでいてくれるファンから厳しい言葉を投げかけられた時は、悔しさとか、怖さとか、恥ずかしさとか、色んな感情に振りまわされます。こんなことを言うのも、自分の表現を好きでいてくれるからこそだと思いながら、「なんでこんなことになったんだろう?」とか「何がダメだったんだ?」と考える。好きが逆に振り切れて、嫌われてしまうことだってあるじゃないですか。だからたまにライブのMCで言うんです。今いる人たちさえいてくれたら、もう新規の人が入ってこなくてもいいって(笑)。新しく好きになってもらえる喜びより、今好きでいてくれる人が離れていく恐怖のほうが強い。とにかくイヤなんです。

「好き」は恐ろしい。尾崎世界観が語る「ファンとアーティスト」という関係_img0
 

小説で印象に残るのは、主人公・以内の視点で描くライブの場面です。「何をしてもひたすら“可愛い”と声を上げる“ワーキャーの客”」「フェスの最前列でこちらに一切興味を示さない“地蔵”」など、絶妙な言語感覚で表現される観客の描写からは、尾崎さんがライブ中に驚くほど客席を見ていること、観客を一人の人間として感じていることが伺えます。

尾崎:最近、アーティストがファンを「1つの塊」として見ていると感じることが多いんですが、自分にとってのファンは、一人の人間としてこちらに飛び込んでくる存在なんです。例えば最前列の柵のところで、30分くらいずっと「くの字」に折れ曲がっているお客さん。内臓大丈夫かな? と思うほど苦しそうなのに、よく見ると嬉しそうに笑っていて。本当にありがたいけれど心配でもあって、「いいことをしてるんだか悪いことをしてるんだかわからないな」と思います。ライブには、本当に様々なお客さんが来ます。次の静かな曲のために明らかに「そういう空気」を出しているのに、平気でヤジを飛ばしてくる人もいる。周りが「尾崎がキレないようになごませなきゃ」と思って一応笑うと、自分がウケたと勘違いして、さらにヤジを飛ばす。みんなが歓声を上げていても、この中に何人か冷めた目で見ている人がいるんじゃないか、というのも考えます。実際、ライブの後でSNSを見ると「あんなにも満たされた空間で、こんなことを思っている人がいたのか」と驚く。だからライブ中のMCは、クリープハイプにいちばん興味がない人、友だちに頼まれて嫌々来たくらいの人を想定してしゃべることもあります。いちばん熱狂的な支持者だけに向けて話すと、間違ってしまうこともあるので。