過酷な現実にヒーローはいなかった
物心ついたときから、父親の母親への暴力は激しいものでした。夕飯を出すのが遅れた、ガス代の支払いが遅れた、そんな些細なことで、父親は母親を力任せになぐり、蹴る。いつも怒号が飛び交って、心臓がバクバクし、胃がきゅーっとなって。目の前の現実がすべて嘘であってほしいと願い続けました。でも、それは叶わなくて。それが私の家庭の日常でした。
もしこれが漫画や映画の世界だったら。父親が拳を振り上げたときに、パシッとそれをとめてくれるヒーローが現れるのに。胸がちぎれるほど痛かった幼少期、そんなことを何度も何度も繰り返し空想しては、心の支えにしていたのでした。
妄想癖は、いわば私の心の防衛本能だったと言えるのかもしれません。それがなぜ、道端に恋落ちてる系にまで発展したのかは自分でも謎です。
オーガニックな出会いは落ちていた! そのとき私は
さすがに、ドンピシャで道端に恋落ちてる系のシチュエーションに遭遇したことはありませんが(そもそも食パンくわえて走りませんし)、実はニアミスな経験なら何度かしているんです。
一度目は、雨の日、歩道橋を歩いていたときのこと。雨で滑って、階段の一番上から下までずさぁぁぁぁーーーっと滑り落ち、腰を強打。その瞬間、「大丈夫ですか!!!」と男性が駆け寄ってきてくれたのです。でも、私は派手にズッコケたのを他人に見られた羞恥心で顔を上げられず、「だだだだだだ大丈夫ですっっっっ」と物凄い勢いでその場を去ったのでした。
思い返せば、大学生のときもそんなことがありました。教室の前の段差に蹴躓き、ジャンプしてから倒れ込みました。そのときも上級生と思わしき青年が「大丈夫ですか?」と駆け寄ってくれたのですが、やっぱりそのときも羞恥心に耐えかねて「うわわわわわ大丈夫でっす!」とめちゃくちゃ不細工な鳴き声を出して足早に立ち去ったのでした。
いや!! オーガニックな出会い自分から潰しにいってるやん! という話なんですよね。
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