10月11日〜12日の日程で、佐賀県で開催された国民スポーツ大会を観戦された愛子さま。あわせて日本赤十字社佐賀県赤十字血液センターなどを視察されました。初めての単独地方ご公務ということで非常に注目されました。

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2024年10月、初の単独地方公務で佐賀県庁を訪れ、地元の幼稚園児からの出迎えを受けた愛子さま。膝を曲げ腰を折り、子どもたちに目線を近づけてにこやかな笑顔を向けていらっしゃいます。

愛子さまは、学習院大学を卒業後、今年4月から日本赤十字社の嘱託職員として勤務されています。所属されているのは、「事業局パートナーシップ推進部 ボランティア活動推進室 青少年・ボランティア課」。愛子さまはこの部署で、若手のボランティアグループや、日本赤十字社で活動する個人のボランティアなどの育成や研修などを行っていらっしゃいます。

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2024年10月、日本赤十字社佐賀県赤十字血液センター「献血プラザさが」を訪問された愛子さま。

愛子さまはなぜ、大学卒業後の進路に日本赤十字社を選ばれたのでしょうか?実は日本赤十字社は、皇室と深いかかわりがあるのです。
 

明治時代の昭憲皇太后が貢献した、日本赤十字社設立


愛子さまは、入社を希望されるにあたり、「関東大震災から100年の節目に日本赤十字社本社で開催された企画展を見たことが大きかった」とおっしゃっています。関東大震災のようなころから福祉活動に取り組んできた日本赤十字社は、皇室と深いかかわりがありました。ここで、日本赤十字社の歴史を紐解いてみましょう。

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明治天皇の皇后、昭憲皇太后。

日本赤十字社の設立に大きな影響を与えたのは、明治天皇の皇后である昭憲皇太后でした。江戸時代が終焉を迎え明治の御代となった年、明治天皇は妃を迎えました。明治天皇に入内された一条美子(はるこ)さま、のちの昭憲皇太后です。ご婚儀の際の大垂髪(おすべらかし)の黒髪に十二単をお召しになった、小柄でほっそりとした皇后さまのお姿は、まるでお雛さまのような美しさだったといいます。

昭憲皇太后は、明治維新後の新しい国母さまとして、社会事業の推進や女子教育の近代化に尽力されました。

1877年(明治10年)、西郷隆盛らによる西南戦争が起こると、戦争傷病者を救護するため「博愛社」が設立されました。昭憲皇太后は、西南戦争から日清戦争、日露戦争といった戦いが終わるたびに、各地の病院を慰問されて傷病兵に義眼や義手、義足などを賜りました。

この活動をもとに、1887年(明治20年)、博愛社は日本赤十字社と改称しました。昭憲皇太后は時代の最先端の感性をお持ちでした。日本赤十字社の広報活動にも力を入れ、カラースライドによる「赤十字幻灯」に、皇后さまご自身と皇太子さま(のちの大正天皇)がご出演され、赤十字の始まりや日赤の活動のアピールをされたのです。白黒写真ですら珍しかった時代に、カラーのスライド投影は全国の人々に新鮮な驚きを持って受け止められ、大きな支援につながったといいます。

やがて日本赤十字社の国際交流が始まるようになりました。1912年(明治45年)には、ワシントンで行われた赤十字国際会議に際し、昭憲皇太后が10万円(現在の3億5千万円にあたる)を寄付され、それをもとに「昭憲皇太后基金」が創設されました。

「赤十字の使命は、人類の幸福と平和に寄与することである」

という昭憲皇太后のお考えのもと、「昭憲皇太后基金」は自然災害や疾病予防など、ふだんのときの活動を奨励する世界最古の国際人道基金となりました。現在、基金は皇室をはじめ日本国民の献金などで構成され、第一次世界大戦が終結した1921年(大正10年)より世界各国の赤十字社に利子の配分が行われ、現在に至っています。
 

 


豪華なドレスを着こなす明治のファッションリーダー


昭憲皇太后は、明治時代のファッションリーダーでもありました。明治のころ、日本では文明開化の影響を受けて、鹿鳴館に集う上流婦人は洋装に身を包むようになりました。1889年(明治22年)、ドイツ人医師ベルツの日記には、
「正午、赤十字創立3周年の祝賀会で上野へ……皇后ご臨席。だんだん洋装に慣れてこられた。まったく立派に見える。優しい容姿に、気品ある顔立ち」と記されています。

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西洋風のドレスをお召しになった昭憲皇太后。

皇后には、正式な場でお召しになるドレスが欠かせません。今年4月6日から5月6日まで、東京・明治神宮内にある明治神宮ミュージアムで行われた「昭憲皇太后百十年祭 受け継がれし明治のドレス」展において、大礼服とその修復の模様が公開されたのです。大礼服とは、最高格式のロングドレス。豪華な刺繍が施され、長く優雅なトレーン(裾)が品格の高さを感じさせます。

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西洋風のドレスをお召しになった昭憲皇太后。胸元にはクロスのネックレス、手元にはブレスレットや指輪をつけていらっしゃいます。

あわせて、中礼服(ローブ・デコルテ)と通常礼服(ローブ・モンタント)も公開され、鹿鳴館時代の貴婦人の雰囲気を垣間見ることができました。大礼服の修復プロジェクトの模様は、NHKBSプレミアム「ロイヤル・ミステリー 皇后のドレスの謎」で放映されましたから、ご覧になった方もいるでしょう。イギリスとフランス、日本の研究家や技術者が集い、大礼服のかつての美しさを再現させました。

昭憲皇太后が創設期に大きく力を尽くした日本赤十字社は、香淳皇后から美智子さまへと受け継がれ、現在は雅子さまが名誉総裁を務められています。「人類の幸福と平和のために」という昭憲皇太后のお心を、愛子さまも受け継がれていくことでしょう。

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参考文献/『天皇家の姫君たち 明治から平成・女性皇族の素顔』(渡辺みどり著、文春文庫)、宮内庁ホームページ、日本赤十字社ホームページ


高木香織(たかぎ・かおり)
出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。

キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。
 

バナー写真/JMPA
構成・文/高木香織
編集/立原由華里


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