そして気づくと、私も父と同じように、周りの木を意識して暮らす大人になっていた。父の与えてくれた環境のおかげでもある。コンコンはしなくても、樹木を眺め、撫で、幸せを感じている。
自分の好きなもののルーツがわかると、もっと好きになる。そして次第に、それは心の支えとなってくれる。

50代、自分の「好き」を棚おろし。人生後半もずっと好きでいると決めているもの【フリーアナウンサー住吉美紀】_img0
一番好きな父の写真。

樹木に父の気配を感じているのかもしれない。そう思ったのは、数年前に初めて屋久島を訪れたときだった。屋久島らしい大雨の中、ガイドさんと夫と3人で、縄文杉登山をした。山中泊コースを選び、ゆっくりと屋久杉たちを味わいながら奥へと進んだ。杉の佇まいも、色も匂いも、樹皮の手触りもたまらない。

巨大な縄文杉の前に辿り着いた時には、すでに日が傾き始めていた。いつもは登山客でごった返しているという縄文杉前のデッキには、雨もあり、誰ひとりいなかった。「普通は写真を撮るにも行列だから独り占めはあり得ないくらいラッキーですよ」とガイドさんは言った。間もなくガイドさんはテントの設営へ、夫はトイレへと、なぜか2人ともいなくなってしまい、気づけば私は縄文杉に、ひとりで向き合っていた。

異次元の、迫力だった。幹の周りが16メートル。日本で一番太い杉は、2千年以上ここに立ち続けている。周りの屋久杉ともまったく違う生命力を放っていて、まるでそこだけ別の光が当たっているようだ。凹凸ある樹皮は肌のように青白く、肉感的で、四つ足の生き物が前足を空高く挙げ、飛び出そうとしている姿にも見える。今にも動き出しそうな恐ろしさと包み込んでくれるような優しさが同居していた。

しとしとと雨が降る中、その怖さと安心感という相反する感覚の中にそのまま身を委ねてみると、私は深く癒されていた。「これは絶対に、父がくれた時間だ」と思った。わずか10分ほどだったが、時が止まったようにも、永遠のようにも感じた。
 

 


一番好きな、父の写真がある。北米の山で、屋久杉のように巨大なレッドウッドの幹に背中を付けて、両腕を横に大きく広げて立つ写真だ。父の「生」のエネルギーが伝わってくる。私も胸を張って、木が好きなままで在ろうと思う。
 

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