私の父は大企業のサラリーマンで、私は転勤族の子供として日本各地の社宅を数年ごとに移動する幼少期を過ごしました。

当時の大企業の社宅というのは、同じ会社に勤める主を持つ家庭があつまってひとつの村を成している比較的安定的なコミュニティ。経済状況も開きはありません。帰っても同じ年くらいの子どもたちが同じマンションにたくさんいるので寂しさを感じることはありませんでした。他の階のインターホンを鳴らせばすぐに幼馴染に会える環境。

親同士の関係はよく把握していませんでしたが、子どもがいない家庭のおばちゃんはとても可愛がってくれるし、自分の家で親と喧嘩した時などは他の家に遊びにいけばいいのでガス抜きができたりなど、いいところもたくさんありました。学校が楽しくない時も家で他の子供と遊べるし、気持ち的にも行き詰まりにくい状況で恵まれていました。

そこで私のコミュニケーション能力は培われていったといっても過言ではありません。

加えて子どもの頃、私は進学塾が苦手で公文式にずっと通っていました。公文は個人主義というかひたすら自分の課題に向かっていくので、今フリーランスとして生きてて必要な力もそこで少しは培われたような気がしています。そんな公文式にもさまざまな年頃の子供達が学んでいて、私はそんな環境で育ちました。

年下の子たちの気持ちに応えたいこの感覚。名付けて「団地魂 症候群」【美容コラムニスト福本敦子】_img0
 

最近この環境を思い出すような変化をひしひしと感じていて、これを書こうと思いました。それは、30歳と40歳の明らかな違い……市場に年下の人たちが増えてくるということです。

仕事でも恋愛でも自分に今までなかったもの=年下ゾーンが、私の場合は35歳ごろから自然と出てきたように思います。30歳になる頃は確か、自分が30歳になることに必死で、年上の先輩たちからの助言を私自身はとても必要としていました。その頃って、なんだか不安ですものね。

29歳くらいの時に当時大活躍していた美容ライターさんから会食で歳を聞かれ、答えたら「30代の方が楽しいよ~20代って経験もお金もなくて辛かったけどもっと自由になれるよ」と言われましたが、それは7割は本当でした。人生において、30歳ごろで選んだものによっても違うかも知れませんが、結構真実なのではと思っています。

話は戻りまして、ここ数年、お仕事を頼んでくれる人たちが年下になってきているという現象が起きています。そりゃあそうだわ。自分が年齢を重ねていけばそうなるのが自然なのですが、いつかは来るこのタイミング、そこで私の中で “団地姐さん魂” に火がついています。

向こうも年上の人に頼むのだから気を使うだろうし、経験が足りなくてわからないこともたくさんある。上司がいて自分で決められないこともある。でも、少し自信や決定権が増えてきて私を選んでくれたのかも知れないと思うと、その気持ちが嬉しいし有り難い。そしてそれに応えたいという気持ちが強くなってきました。これ、なぜブッキングしてもらえたんだろう?と思う時、大体年下の子達が 自分のSNSやポッドキャストを聴いて自分の知らないところでキャスティングにピックアップしてくれている(に、違いない)。実際、大体そうなのです。ありがとう、若者たちよ。そして、続けていてよかった。

この気持ちは、幼少期に団地の中で年下の幼馴染たちと遊んでいた頃の、姐さん感覚と似ています。

自分が走ることに必死だった時は周りを見る余裕がなかったけれど、私は年上の素敵な方々にたくさん助けられ、チャンスをもらい、今までの時間を築いてきました。

自分よりも若い世代の人達は私にも何かあげられるものあるのかな? と、そんな風に新しい引き出しを引っ張ってくれています。
 

 


《本日の一品》

秋に大人っぽさをグッと足してくれるカラーもの。
ネイルズインクのネイルカラーと秋色の口紅はETVOSのものです。

年下の子たちの気持ちに応えたいこの感覚。名付けて「団地魂 症候群」【美容コラムニスト福本敦子】_img1
 

写真・文/福本敦子
 

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