義実家での米づくりを手伝っていこうと意識が変わった時、そうした20代の頃の経験が蘇った。そして、とても不思議な縁を感じた。まさか自分が20年後、東北の農家の家族、つまり当事者になるとは。何ができるかはわからないが、使命感すら覚えた。それ以来、私も農作業を自分事として手伝うようになった。
うちの家族が週末に集結して作業をするタイミングは、年に3回だ。
まずは米づくりの第一歩「種まき」。田植え用の苗を育てるのだ。60cm×30cmほどの平らなバットのような育苗箱に、水を含ませた土と肥料、そして種を乗せ、苗床をつくる。それを暖かい環境で芽吹かせるため、人力でハウスの中に敷き詰めていく。1枚6キロほどの苗床を数百枚運ぶと家族全員クタクタだが、びっちりと絨毯のように敷き詰められた様子を見届けると、達成感が半端ではない。
2回目は、田植え。成長した苗を田植え機に乗せ、どんどん植えていく。私の担務は「苗乗せ方」と「均(なら)し方」。十数センチに成長した苗を苗床から剥がし、田植え機に充填していくのが「苗乗せ方」。水を張った田んぼに入り、田植え機のタイヤ跡の盛り上がった泥をトンボで均して平らに戻すのが「均し方」だ。
地元の方は長靴でやるそうだが、私は靴が泥に埋まってしまうのが面倒で、裸足で作業するようになった。義母には「そんな大人は見たことがない」と言われるのだが、私はむしろ、これが毎年の楽しみになってしまった。普段はコンクリートの上に靴下と靴で過ごしている足を解放し、にゅるにゅると田んぼに埋もれさせる。春の生ぬるい泥が、指の間にも入ってくる。足裏にはタニシがゴロゴロと当たり、足ツボマッサージのようだ。電磁波がアースされ、体から抜けていくような、なんとも言えない爽快感があり、作業後はスッキリ。
そして3回目が、秋の収穫期。義父がコンバインで稲刈りを粗方済ませた頃、再び家族が集結し「籾摺り」を行う。籾摺りとは、収穫して乾燥させた稲籾を、籾殻と玄米に分ける作業だ。私は「籾殻チーム長」。籾摺り機からザクザクと排出される籾殻を、大きなプラスチック袋に詰め、一箇所に積み上げていく。機械の反対側では男子チームが、30キロの米袋に玄米を詰めていく。機械が作動している間は音もすごいし、油断すると袋がすぐ一杯になるので、ただ黙々と作業にあたる。全部で220ほどの籾殻袋ができ、後日業者に引き取られ、田んぼの圃場整備などに使われる。エコなシステムだ。
農作業の週末は始発で岩手に帰り、着いたら即作業。東京で金曜日フルに働いて、3、4時間の睡眠で乗る早朝の新幹線ではグロッキーだが、なぜか田んぼ周りに着くとエネルギーが湧いてくる。グダグダ不毛なことを考える暇もなく、心地よい温度の土や水の感触や、自然のそよ風を感じながら、ひたすら汗をかく。そして一定のリズミカルなペースで黙々と手足を動かす作業が多いため、まるで瞑想をしているかのような無の境地、心の平穏状態に達するのだ。筋肉痛になってはいても、いつも来た時よりもリフレッシュされた状態で帰途に着く。毎年通ううちに、農作業は私の一年間の中で、欠かせない位置を占めるようになった。
Comment