平和な孤独
「……暇。暇よ、暇すぎるのよ」
引っ越して3カ月。来る日も来る日も寒風が吹きすさぶ北の大地のファンシーなアパートで、私は思わずつぶやいた。
新しい暮らしには、3日で慣れた。なんせ、本当に行くところがイオンしかないのだ。工場に合わせて7時に出ていく遼平を送り出してから、狭い部屋を片付けて、8時にはもう暇。
NETFLIXなんかも見てみたけれど、毎日それしかすることがないとあまりにも生産性がなくて落ち着かない。こういうのは忙しい合間に息抜きとして見るから楽しいのだ。時間がどんどん溶けているような気がした。それでもほかにやることがなく、前は興味がなかったゾンビものやクライムサスペンス、アメリカの犯罪ドラマを見続けた。
一番見たくないのは日本のドラマ。お仕事もの、恋愛ものはもってのほか。キラキラしたり充実したりした人が出てくると心がざわざわした。そして大好きだった『SEX AND THE CITY』もだめ。女友達がひとりもいない今や、彼女たちの輝きは、マノロよりも私の羨望を搔き立てた。
「よ、よし。これはとにかく強制的に外にでないと! バイト、バイトをすればいいのか!?」
もはや声に出して、私は小さな2人がけのソファから飛び起きた。東京の家は賃貸に出したけれど、家具はサイズがあわなくて、全部トランクルームに入れてきた。間に合わせで買った小さくて安い家具が、一層仮住まい感を醸し出している。
とにかくアルバイトでもすれば人に会える。かといって、イオンのフードコートで高校生に交じってアラフォーがバイトをするのも気が進まない。とりあえず、地元の無料のバイト情報誌を貰いつつ、ハローワークがちょうど市民センターの中にあったことを思い出し、行ってみることにした。移動手段は自転車か1時間に2本のバスしかない。まもなく雪が降ったら自転車もアウト。来週の雪予報を見ると、今週中に動けるだけ動いておこう……。
「そうですねえ、今、あなたの年齢だと、たとえば缶詰工場勤務がちょうど募集していますよ。シフト制で、主婦には働きやすいんじゃないかねえ~」
ハローワークにいくと、これまた気のよさそうな相談係のおじさんが、ざっと私の職歴を尋ねたあと求人票を見せてくれる。
「その仕事、体を動かせますか!? できたら歩き回るか、あるいは、ひととたくさんコミュニケーションがとれる仕事だと嬉しいです」
一応、白いシャツと黒いパンツをはいてきた私を、おじさんはいたわるように見た。
「いや~、食品工場だからね、私語は禁止よ。体も動かせないと思うよ、検品だし……。じゃあ、こっちはどう、漁師補助。でも朝の2時くらいに港集合なんだよね、大丈夫?」
「時間は暇だから大丈夫なんですが、車がないのでバスがない時間は行けないんです……」
おじさんははあ、とため息をついた。
「まずは普通免許、とらないとね。このあたりじゃ、仕事、なんもないよ」
私はうなだれた。そりゃそうだ。行くべきは教習所だった。
とぼとぼとハローワークを出た。大体バイトを探しているのにこんなところに来たって仕方がないのだ。タウン誌を見てかたっぱしから電話をかけるべきなのに、ここに来てしまったのは、誰かと話したかったからか。やばい。相当きている。
「あの、すみません。東京のひと?」
それが私に向けられた声だと、しばらく気が付かなかった。しかし周囲には誰もいない。びゅうびゅうと強い風がふく曇天で、ひとの声がとってもはっきり聞こえた。
「はい?」
私は振り返った。30歳くらいだろうか。化粧っけはなく、ふっくらしていて、童顔が際立っている。薄いダウンにジーンズ、スニーカー。地元の人だろう。
「よかったら車に乗ってく? 免許ないって、聞こえたから」
「え?」
この人とどこかで会ったことあったっけ? もしかして夫の会社のひと? 私は必死に頭を巡らせたが、思い当たらない。どう考えても初対面だ。
「車、運転できないんでしょ? 今日、バス、踏切で事故があって多分来ないよ。イオンあたりまで乗ってけば?」
私は、自転車できたから、と答えるつもりが「ありがとう……! 助かります」と答えていた。彼女はにっこり笑うと、停めてある白い軽自動車のほうに手招きしてくれる。
道端でイケメンにぶつかって助け起こされた女子高生のように、私は引っ越してきて1番、ときめいていた。
次回予告
ようやくできた友人。しかし奇妙がことが……?
イラスト/Semo
編集/山本理沙
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