「自分のことがわからない」不安な気持ちのときに、現れた希望


映画『徒花ーADABANAー』は、「それ」と呼ばれる自身のクローンを利用した医療行為が一部の人々に提供される、どこかの時代を描いた作品です。

水原希子さん(以下、水原):出演を決めたのは、甲斐さやか監督の作品を拝見したこと。人間誰しもが持っているエグい部分が描かれていて、でも、不謹慎に聞こえるかもしれませんが、それが美しく思えてしまう危うさもあり、何かがあぶり出されてしまうような感じがあり、好きなタイプの映画を撮られる監督さんだなと。指名していただいたまほろ役については、今まで「こういう役」を演じたことがなかったし、怖いもの見たさもあって、是非チャレンジさせていただきたいなと思いました。

水原希子「それさえあれば何があっても生きていける」縛られて不自由な人生でも人間にとって大事なもの_img0
 

舞台となる医療施設は、選ばれた人々のみに持つことが許される「それ」を管理し、その人たちが万が一病気になった時は、「それ」を利用して治療に当たります。患者が自分の「それ」と会うことが許されないのは、自分とそっくりな(だからこそ治療に利用可能な)「それ」と会うことが、患者の精神的動揺につながりかねないから。水原さんが「こういう役」と語った所以はさておき、彼女が演じたまほろ役は、そうした患者の精神面をケアする臨床心理士です。

水原:実際の臨床心理士の方に取材をしアドバイスも頂いて、仕事についてはある程度理解できていたんですが、まほろという人物が抱える苦しさは、何重ものレイヤーになっているところがあって。現場では「これでいいのかな」と迷いながら、「監督がイエスと言ってくれますように」という思いで演じていました。今考えると、そういうもどかしさ、なんとも言えない思いは、ある意味ではまほろ自身と重なっていたんじゃないかなと思います。

物語は新たに施設に入ってきた患者ーー施設を運営する組織の後継者=井浦新さん演じる新次が、禁を破って自分の「それ」に会いたいと言い出すところから始まります。まほろはそのことによって、激しく揺さぶられてゆきます。

 

水原:まほろの中には、ずっと「自分のことがわからない」というような不安な気持ちがあったのかなと思います。そんな時に新次さんが現れる。親の作ったレールに沿って生きてきた新次さんは、対面した「それ」に、もうひとりの自分、もうひとつの人生を見たんだと思うんですよね。自分にも別の人生があったのかもしれない、と。そこに一種の希望みたいなものを見出した新次は、どんどん「それ」に惹かれてゆくんですが、それを見たまほろも自分の「それ」に会ってみたくなっちゃうんですね。「それ」に会うことで、何かが変わるんじゃないかと思ったんじゃないかなと。