競争プロセスがアンフェアなことには、もっと疑問の声が上がるべき

差別か、合理的な区別か? 現代社会のあいまいな境界を、“バカ差別”という言葉を入口に再考する_img0
 

いままで触れてきたように、脳力が高い人が上に立つこと自体は問題ないと思います。問題なのは、学歴という結果で判断されることそれ自体ではなく、学歴を築く過程において競争がフェアではないということです。

東大の親の世帯年収が平均より高く、私立の中高一貫校の生徒が多いことは有名な話であり、親の収入が高い方が子どもの学力が高くなるというデータはいくつもあります。家庭教師や塾を利用するのは当然お金がかかります。

 

また、受験においても、私立を併願したり、浪人したりという選択肢はお金がないと持てません。東大卒のアイドルが、Xで「勉強なんてこの世界で唯一努力が報われる分野なのに環境のせいにして努力しない人間が本当に嫌い」と発言したことが大きな話題となりましたが、それって大谷翔平が「野球なんてこの世界で唯一努力が報われる分野なのに」と言うようなものです。もちろん中には貧乏から自力で高学歴になる人もいますが、あくまで全体の傾向を見るとお金の持ちの子どもほど高学歴になりやすいのが現実なのです。

学力を形成する上での不平等を解消していくと同時に、知的障害の人や境界知能(知能指数70~84に位置する人)の人が低所得に陥りやすい現状に対しても対策が必要だと思います。

学歴が就活などで重視されることには一定のコンセンサスがとれているように思いますが、学歴を築く過程での不平等さ、さらに学歴重視の社会で取りこぼされてしまう人への支援の必要性にもっと目を向けるべきだと思うのです。